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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。日本サッカーと関係の深い、エメルソン・レオンの光と影

95年に清水エスパルス、97年にはヴェルディ川崎の監督を務めた、エメルソン・レオン。ソクラテスが顔をしかめるほど、癖のある性格で知られるレオンだが、彼の本質的な部分はどこにあるのか。

長く代表でもプレーしたGK、エメルソン・レオン

 現在のブラジル代表――セレソンを率いる、フェリッペ・スコラーリはかつてジュビロ磐田で監督を務めていた。前回W杯南アフリカ大会でセレソンの監督を務めていたドゥンガも選手時代にジュビロに所属していたことは記憶に新しい。

 忘れがちであるが、もう一人、日本サッカーと関係の深い人間がセレソンの監督だったことがある。エメルソン・レオンである。

 レオンは1949年、サンパウロ州内陸部の商業都市、ヒベロン・プレットで生まれた。地元の『コメルシアルFC』とゴールキーパーとしてプロ契約、『サンジョゼ』に移籍した。この二つのクラブで公式戦出場記録はない。レオンが選手としての評価を確立したのは、68年にサンパウロ市の『パルメイラス』に移籍してからだ。

 パルメイラスでは78年までに515試合、『バスコ・ダ・ガマ』『グレミオ』『コリンチャンス』を経て84年に再びパルメイラスに戻り102試合に出場した。ブラジル代表には70年から選ばれている。

 レオンほど輝かしい経歴の選手、監督は稀である。しかし、彼にはいつも、ちょっとした影がある――。

 キーパーはサッカーの中で特殊なポジションだ。唯一、他のポジションを兼ねることがほぼ不可能である。そして、レギュラーはたった一つ。常識的な監督はこの守備の要を固定して戦うことになる。

 ブラジルが優勝した70年W杯にはフェリックスという不動のキーパーがおり、レオンは第三キーパーという扱いだった。71年からレオンはブラジル代表の正キーパーとなり、74年、78年W杯に出場している。86年大会にも選出されているが、控えキーパーだった(82年大会はレオンが招集を拒否した。監督はテレ・サンターナである)。

 ブラジルは70年大会から優勝を逃し続けたため、レオンは自分がピッチに立って優勝を経験することはなかった。

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