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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。なぜレオンは“B代表以下のセレソン”でコンフェデを戦ったのか?

監督として申し分ない実力を持つエメルソン・レオン。ロビーニョやジエゴを抜擢するなど目も確かだった。しかし、セレソン監督としては結果を残せなかった。彼が臨み、解任のきっかけとなったコンフェデでのセレソンは実に奇妙なメンバー構成だったのだ。

乱闘騒ぎの中心にいたレオン

 エメルソン・レオンの監督としての実力は疑う余地がない。ただ、彼にはなぜか揉め事がついて回る――。

 97年11月6日、レオンの率いる『アトレチコ・ミネイロ』は『コメボル杯』決勝に進出したことがあった。

 コメボル杯は南米サッカー連盟が主催する国際大会で、クラブチーム南米一を決める『リベルタドーレス杯』の下位大会にあたる。ブラジルからは4クラブ、前年ブラジル全国選手権準優勝のポルトゲーザ、3位のアトレチコ・ミネイロなどが参加していた。

 決勝の相手はアルゼンチンの『ラヌース』、第一試合はラヌースの本拠地ブエノスアイレスで行われた。試合はラヌースのキーパーのミスもあり、少々気の抜けたものになった。アウェーのアトレチコ・ミネイロが4対1と勝利を収めた。

 問題は試合終了後のことだ。

 審判が笛を吹いたとたん、ラヌースの選手がアトレチコの選手に詰め寄り、もみ合いが始まった。両チームの選手はあちこちで小突き合いを始め、観客までフェンス越しにアトレチコの選手を蹴り飛ばした。混乱はアトレチコの選手たちが選手出入り口から逃げるように引き上げるまで続いた。その渦の中心にいたレオンは相手選手から殴られた。

 ぼくが彼にインタビューをしたのはその直後だった。

「ベンチに大人しく座っている監督じゃ、チームは力を出せないんだ。監督は強いコラソン(ハート)が必要だ。監督のコラソンが強ければ、チームも強い。チームは監督と同じ顔になるものだ」

 レオンはその言葉を実践していた。

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