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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。菅原智の挑戦。果てしなき王国の魅力・その1

「こいつ、大丈夫か、って感じで見られていたんでしょう」

 キャンプの間に休みの日が設けられていた。その日は家族が訪れ、一気に賑やかになった。燦々と照りつける太陽の下、子ども達はプールに入り、嬌声を上げていた。

 菅原はすっかりチームに溶け込んでいた。

「みんなぼくが日本人で言葉が分からないというのを知っているじゃないですか。こいつ、大丈夫か、って感じで見られていたんでしょう。休みの日も気を遣ってくれてみんなと一緒にビリヤードをやったりして過ごしてました。

練習中はライバル意識があるからものすごく厳しい。でも、ピッチの外に出たらものすごく良くしてくれた。みんな一線で活躍している選手なので大人でしたね」

 キャンプは10日ほどで終了し、99年最初の公式戦『リオ・サンパウロ大会』が始まった。

 この大会にはリオとサンパウロ州の主要な8クラブが参加する。サントスは、『バスコ・ダ・ガマ』、『フルミネンセ』、『パルメイラス』と同組に入った。

 外国人選手が試合に出るには就労ビザの取得が必須となる。菅原は就労ビザが降りず、この大会は登録さえできなかった。

 2月、大会が中断され、チームは休暇となった。年に一度の祭り、カーニバルが始まるのだ。

 見落とされがちではあるが、カーニバルは宗教行事である。復活祭の40日前、四旬節の間はイエス・キリストの断食をしのんで肉食を断つ風習がある。その四旬節の前に、肉を食べて騒ぐのが謝肉祭――カーニバルである。

復活祭は3月から4月の日曜日とされている。それに合わせてカーニバルの時期は毎年違う。この年は2月12日から16日となっていた。

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