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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。菅原智の挑戦。果てしなき王国の魅力・その2

タレントが揃っていたコリンチャンスとの一戦

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ベルミーリョのロッカールーム【写真:田崎健太】※2006年撮影

 サントス対コリンチャンスは、ブラジルでも最も人気のあるクラシコの一つである。両クラブとも白と黒をチームカラーとしているため、「アルビネグロ(白黒)クラシコと呼ばれることもある。

 試合前、先発する選手たちが集まって神に祈りを捧げた。言葉が分からない菅原は黙って輪に加わって下を向いていた。モルンビースタジアムの細い通路を光の方向に向かって歩いて行くと、次第にざわめきが大きくなり、空が見えてきた――。

 相手のコリンチャンスはサンパウロ州選手権で優勝候補だった。

 キーパーのマウリシオ、ディフェンスにインジオ、パラグアイ代表のガマーラ、ネネ、シウビーニョ、中盤に元コロンビア代表のリンコン、ブラジル代表にも選ばれていたバンペータ、右利きの天才マルセリーニョ・カリオカ、ヒカルジーニョ、そして前線にエジウソン――。

 ヒカルジーニョは2002年W杯優勝メンバー、エジウソンは柏レイソルに所属した俊足のフォワード、監督は後に鹿島アントラーズを率いるオズワルド・ジ・オリベイラである。

 サントスの先発は、元セレソンキーパーのゼッチ、アンデルソン、アルジェウ、クラウジオミーリョ、グスタボ・ネリ、中盤に菅原、ナルシーゾ、ジョルジーニョ、カイコ。フォワードはアレッサンドロとビオラの二人。

 グスタボ・ネリは後にドイツのベルダー・ブレーメンに移籍した。ロベルトカルロスがいたため、セレソンに定着はしなかったが、才能溢れる左サイドバックの選手だった。アレッサンドロはジュビロ磐田でプレーすることになる。ビオラは94年W杯優勝メンバーの一人だ。サントスも錚々たる選手が揃っていた。

 試合はアレッサンドロが先制して始まった。

 しかし――。この試合は菅原にとって苦い思い出となってしまう。

【次週に続く】

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