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サッカー番記者はなぜ監督を強く批判できないのか?

text by 海江田哲朗 photo by Asuka Kudo / Football Channel

フロントの判断に異を唱える原稿を書いたが…

 振り返って、最も精神的に堪えたのは、初のJ2降格となった06年と07年の2シーズンだ。監督はラモス瑠偉氏。誰もが認める緑の英雄である。

 06年は選手をとっかえひっかえし、暗中模索のまま7位でシーズン終了。私は腰の座らないチームづくりに対して批判めいたことも書いたが、ある程度は必要なコストだと割り切っていたように思う。再建を託された偉大なOBであり、監督としては1年目のルーキーだ。前年までの主軸が多く抜け、チームを土台から構築しなければいけない困難もあった。

 それより、ラテン気質全開で練習時間が当日に変更されたり、突然の非公開になることのほうがよほどストレスだった。振り回される選手たちは大変だっただろう。これを見かねた東京Vのスタッフが「見学に来るサポーターに申し訳ないから、前日までに確定させてほしい」と進言しても、監督は耳を貸さなかった。

 07年は開幕5試合を4勝1分けと上々のすべり出しを見せた。ところが、第6節のアビスパ福岡戦から怒濤の7連敗。5月3日の第13節、国立競技場で行われた水戸ホーリーホック戦の1-5の惨敗は、いまも生々しく思い出される。もはやチームの体を成しておらず、ラモス体制の終焉は避けられないものと思われた。

 次節、中2日で臨んだ京都サンガ戦で東京Vは8試合ぶりの勝利。そこでフロントは監督続投の判断をする。

 私は、正気の沙汰ではないといった趣旨の原稿を書いた。

 それから東京Vはどう歩んだか。終盤は8連勝を含む16試合負けなし。2位でJ1昇格の切符をもぎ取るのである。いまではブラジル代表のレギュラーを務めるフッキが驚異の37ゴールを叩きだした。

 プロの世界は結果がすべてだ。東京Vのフロントの判断が正しく、私の主張は間違っていたことになる。J1昇格は喜ばしいものだったが、サッカーはわからないものだという考えがより深まった。

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