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ジュニサカ 10年前

絶対的司令塔・遠藤保仁のルーツに迫る! 二人の兄の背中を追いかけながらサッカーに明け暮れた少年時代

最新号の『ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.31』(小社)では、サッカーとの出会い、そして少年時代のお話などについて、ガンバ大阪の遠藤保仁選手にインタビューを行っている。二人の兄の背中を追いかけながら、遠藤選手はどんな少年時代を過ごしたのか、そのルーツに迫る。

text by 元川悦子 photo by Asuka Kudo / Football Channel

【ジュニアサッカーを応援しよう!VOL.31】掲載

スポーツは厳しさが大事

 自国開催だった2002年を除き、中立地でのワールドカップ史上初のベスト16進出がかかった2010年6月24日のデンマーク戦(ルステンブルク)。本田圭佑(現CSKAモスクワ)の直接FKで1点をリードした日本は前半30分、勝利を決定づける2点目を手に入れる。絶対的司令塔・遠藤保仁の高い技術が凝縮されたFK弾だった。

「この大会は直接FKがなかったので決めたかった。圭佑も『蹴らしてくれ』と言ってきたけれど、1本決めているし『俺が蹴る』と。入ったから100点満点だと思います」

 本人も満足そうに語る歴史的ゴールを、父・武義さん、母・ヤス子さんはスタジアムでその目に焼きつけた。2006年ドイツ大会ではフィールドプレーヤーただ1人出番がなく、2008年北京オリンピックもウイルス性感染症で棒に振るという息子の度重なる不運を目の当たりにしてきた両親は、心からの安堵感に包まれたはずだ。

絶対的司令塔・遠藤保仁のルーツに迫る! 二人の兄の背中を追いかけながらサッカーに明け暮れた少年時代
遠藤保仁【写真:工藤明日香 / フットボールチャンネル】

「ヤットは普段から何事にも動じない子ですけど、2006年秋に肝炎にかかったときほど弱々しい姿を見たことはなかったですね。病室へ行ったら熱でうなされて水も受けつけない状態だった。すごく痩せて、足も細くなっていて『この子のサッカー人生終わったな』って思ったくらいです。2008年のウイルス性感染症のときも熱が高くてね……。そういう出来事を思い出すと、こうしてまた元気にプレーできているのが信じられない。本当に嬉しい限りです」と母・ヤス子さんはしみじみと語っていた。

 あの成功から3年。30代半ばになった遠藤は現在もザックジャパンの大黒柱として走りつづけている。日本代表キャップ数は歴代最多の138試合(2013年10月現在)を数え、2014年ブラジルワールドカップまでには145試合に達する見通しだ。幼い頃から文句ひとつ言わずに自分をサポートし、温かく見守ってくれた両親や周囲の人々の存在がなかったら、ここまでハイレベルかつ偉大な実績は築けなかっただろう。

 長男・楓仁(ふうと)君が小学生になり、1人のサッカー少年の父親として成長を客観視する立場になった遠藤は、親心の有難さや難しさを今、改めて実感しているようだ。

「僕の両親は自由に育ててくれましたから、僕も自分の子どもたちにはそうしたい。サッカーも、指導者の方に基本任せていますし、厳しく言ってもらいたいと思っています。やっぱりスポーツは厳しさがないと。努力なしにサッカー選手になれるわけじゃないですから。

 みんなメッシ(現バルセロナ)やクリスティアーノ・ロナウド(現レアル・マドリード)のような選手は好きだろうし、生まれ持ったセンスも必要かもしれない。でもその陰に努力でトップレベルに上り詰めた選手もいることを忘れてほしくない。ガットゥーゾなんかその典型。気迫とガムシャラさを前面に出して、イタリア代表になり、ワールドカップで優勝しているのだから。子どもたちにはああいう選手をしっかり見てほしいと思いますね」

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