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ボスニア代表を悲願のW杯初出場に導いたオシムの献身

text by 木村元彦 photo by Getty Images

FIFAの制裁に立ち上がったオシム

ボスニア代表を悲願のW杯初出場に導いたオシムの献身
窮地を救ったのがオシムだった【写真:Getty Images】

 窮地を救ったのがオシムだった。ここに至り、FIFAのブラッター、UEFAのプラティニの両会長は、もはや収拾できるのはオシムだけであると確信し、是正機関である「正常化委員会」の立ち上げと、その委員長に就くことをこのカリスマに要請してきた。政治的なアクションを取ることを何より嫌っていたオシムだったが、このミッションについては即答に近い形で引き受けた。

 その理由は何であったのか?

 問いに対する答えは明解だった。「このままボスニアがサッカーを失ってしまったら、民族融和の最後のチャンスも失くすことになる」と言ったのだ。かつて旧ユーゴ最後の代表監督時代、多民族で構成した代表チームのサッカーで祖国崩壊を押しとどめようとしたことを「まるで自分はドンキホーテだった」と自嘲気味に呟いていた男が、それでもまだサッカーの力を信じて諦めていなかった。

 正常化委員会が結成されると、オシムは脳梗塞の後遺症の残る不自由な身体で3民族それぞれの協会や政治家を説得して回った。「私たちはお互いに会って話し合わないといけない。必要であればセルビア系の町にもクロアチア系の町にも行く」というのが、この当時のオシムの発言である。

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