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ボスニア代表を悲願のW杯初出場に導いたオシムの献身

text by 木村元彦 photo by Getty Images

功を奏した“ボスニア行脚”

 今ではムスリムの町となったサラエボでは、このような言質に「ドディク(セルビア人共和国大統領=自分はボスニアのセルビア人ではなくてただのセルビア人だと度々発言したことが問題になった政治家)のような人物に会いに行くのは理解できない」と反発するメディアもいたが、信念を貫いた。

 オシムを筆頭にバイエビッチ、ハジベギッチらボスニアサッカー史に残る歴戦のOB選手たちで構成された正常化委員会のボスニア行脚は奏効し、2011年5月26日に開かれたサッカー協会の総会では会長一元化のための規約改定が満場一致で決議された。国際標準へのスムーズな移行が成され、これにより、ボスニアは国際舞台に再び復帰することができたのである。

 この時期はちょうどユーロ2012の予選の最中だった。プレーオフにまで進出するも結果的にはポルトガルに屈してポーランド・ウクライナには行く事はできなかったが、チームとしての熟成期に入りつつあった。会長が1人になったことで不安定だった現場の監督、選手たちのモチベーションが上がったことは言うまでもない。

 ボスニアがワールドカップ出場を決めた試合=2013年10月15日のアウェイ、リトアニア戦のツアーに参加した。これはボスニア協会がチャーターしたカウナスまでの直行便に代表チームとメディアとサポーターがすべて一緒に便乗して敵地に向かうという他国では想像できないようなアットホームな応援ツアーだった。……(続きは『サッカー批評issue66』にて、お楽しみ下さい。)

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