世界最高のMFモドリッチの知られざる幼少時代。迫りくる戦火と愛する人の死。それでも愛したボール

ロシアW杯MVP、FIFA最終選手賞に選ばれたルカ・モドリッチは、幼少時代にどのような道を歩んできたのか。知らざるエピソードとともに3回にわたってその道程を追っていく。『ルカ・モドリッチ 永遠に気高き魂』(10月19日発売)から一部抜粋編集。(文:ビセンテ・アスピタルテ、ホセ・マヌエル・プエルタス/翻訳:江間慎一郎、再構成:編集部)

2018年10月22日(Mon)10時00分配信

text by ビセンテ・アスピタルテ photo Getty Images
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モドリッチ憧れのアイドルが主役となったマクシミールの悲劇

ズボニミール・ボバン
モドリッチのアイドルであったズヴォニミール・ボバン【写真:Getty Images】

 第二次世界大戦後に起こった最も壮絶な紛争は、熾烈を極めていた。

国が情け容赦なく分裂していく中で、ユーゴスラビアのスポーツは大きな成功をつかんでいく。1991年にはクロアチア人プロシネチュキを中心とするレッドスター・ベオグラードが、チャンピオンズカップを制覇。また欧州のバスケットコートではどこもユーゴプラスティカを止めることができず、クロアチア人を中心としたこのチームは1989年から1991年まで連続で欧州王者に輝いた。

 1990年のイタリアでは、プラーヴィ(ユーゴスラビア代表の愛称)がワールドカップで見事な成績を残す。彼らに土をつけたのは準優勝に輝いたマラドーナ擁するアルゼンチン代表だけであり、それもベスト8でPK戦の末に迎えた決着だった。

 ただし、あのユーゴスラビア代表には、ルカ・モドリッチにとって大切なアイドルであるズヴォニミール・ボバンなど、クロアチアの同時代を彩った選手たちが欠けていた。あの才能あふれるミッドフィルダーは紛争の始まりに、緊張が高まり続けていた中で起こった、ある出来事の主役となっていたのである。

 1993年5月13日、スタディオン・マクシミールではディナモ・ザグレブ対レッドスターが開催されていたが、その試合はフットボールの黒い歴史に永遠に刻まれることになった。

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