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いわきFCの育成革命(前編)。同い年なのに6歳差? 子どもたちの「生物学的年齢」とは【いわきFCの果てなき夢】

シリーズ:いわきFCの果てなき夢 text by 藤江直人 photo by Editorial Staff

いわきFCとの「運命的」な出会い

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いわきスポーツクラブ(いわきFC)のアドバイザーを務める小俣よしのぶ氏【写真:編集部】

 小俣氏と東ドイツの接点は、1988年のソウル五輪にまでさかのぼる。小俣氏はアメリカンフットボール出身で、指導者になる夢をかなえるために当時はアメリカへ留学していた。しかし、指導者養成どころか、選手の育成システムもないアメリカの実情に愕然とさせられた。

 そうしたタイミングで、テレビ越しにソウル五輪を観戦した。東ドイツの金メダル数37、総メダル数102はともにソ連に次ぐ第2位で、スポーツ大国のはずのアメリカをそれぞれ上回っていた。

「以前から東側の国々にも興味があったので、アメリカに見切りをつけて帰国して、自分なりに調査を始めました。最初はソ連の調査から入りましたが、実は大国だからこそ可能な強化戦略でした。対照的に東ドイツは人口が1600万人くらいなのに、アメリカに勝っている。理由を調べていくと、西側諸国よりも数十年先を進んでいる、ものすごく先進的なスポーツ科学の知見に基づいた理論と育成システムを構築していた。実は私たちが学んでいるスポーツ科学のほとんどは、この時代に東ドイツとソ連で作られたものなんです」

 東ドイツのノウハウを解き明かす研究が進むほどその先進性に驚かされ、21世紀になって久しい日本のスポーツ界にも取り入れたいという思いが膨らんでくる。しかし、日本にも長く根づいた伝統や習慣があって、還元できる機会になかなか恵まれなかった。

 だからこそ、偶然に導かれたかのようないわきFCとの出会いを、小俣氏は「運命的なところもありますね」と笑顔を浮かべながら振り返る。

「4年ほど前の話になりますけど、いわきFCの親会社のドームさんが手がける事業のひとつ、トップアスリート専用のパフォーマンス開発機関である『ドームアスリートハウス』のスタッフ研修を私が担当させていただいたんですね。その際に『いわきFCというチームを経営する』という話をうかがい、育成をやっていく上で『これまでの日本にない育成システムを作りたい』という話になり、いわきFCの大倉智代表取締役とお会いしたことから始まりました」

☆後編はこちら☆

(取材・文:藤江直人)

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