94年、三浦知良。「金を払って選手をねじ込む」“マーケティング主導”の揶揄の中、築いた礎【セリエA日本人選手の記憶(1)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。90年代、そのスタートとなったのがセリエAへの移籍だった。三浦知良や中田英寿など日本を代表する選手たちが数多くプレーしたイタリアの地。しかし、現在セリエAでプレーする日本人選手はゼロ。この機会にこれまでの日本人選手のセリエAでの挑戦を振り返る。第1回はFW三浦知良。(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

2019年04月01日(Mon)11時51分配信

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶
text by 神尾光臣 photo Getty Images
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今なお知られる「ミウラ」の名

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三浦知良【写真:Getty Images】

「ミウラは本当に永遠だ:51歳で横浜と契約を更新」
「カルチョ界のラスト・サムライ」

 三浦知良が横浜FCとの契約を更新したとのニュースは、かつて彼がプレーしたイタリアでも話題となった。興味深かったのは、それぞれのニュースソースが『ミウラ』の名が知れていることを前提しとして記事が書かれていたことだ。

 プレーしたのは1994/95シーズンの1シーズン。21試合の出場で、サンプドリアとのダービー戦で決めた1ゴールのみ。あれから20年以上たち、継続して実績を出した日本人選手も現れた。にも関わらず、歴史の中に忘却される存在になっていないことには改めて驚かされる。

 まずは単純に、カズが世界最長老のプロ契約選手として現役でプレーをしているという事実がある。同時期に活躍した選手はほとんど引退していることは、説明するまでもない。そしてもう一つは、メディアインパクトがいかに巨大なものであったかということだ。

 時は、アメリカW杯が終わった直後の1994年。EU加盟国の外国人選手に関する制限をEU労働規約違反とし、選手移籍の国際化を活発化させたボスマン裁定が出る前のこと。イタリアのセリエAクラブにはEU圏外国人を含め、各クラブ3名まで外国人枠が設定されていた。

 現在のような国際的な選手移動はまだなく、シルビオ・ベルルスコーニ会長率いるミランが口火を切り、資金を叩いて外国人選手を投入する傾向が根付いてからそれほど年数が経っていない頃の話だ。その中にあって、当時はまだW杯出場を経験していなかった日本代表の選手が突然やってくることはニュースとなった。

 バブル経済が終わった直後とはいえ、まだ強力だったジャパンマネーがジェノアのスポンサーとなり、練習場には連日のように日本メディアが取材に張る。ジェノバの西、ペーリ地区の練習場に通う古参のファンには、当時のことが記憶に残っている。

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