02年、中村俊輔。世界最高級のFKが残した爪痕。稀代のトップ下が批判から称賛に変わるまで【セリエA日本人選手の記憶(4)】

2019年05月16日(Thu)10時20分配信

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶
text by 神尾光臣 photo Getty Images
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黄金時代の肖像画に。中村俊輔が残した足跡

 あのズラタン・イブラヒモビッチを擁し、開幕から8勝1分と圧倒的な強さを見せていたユベントスにシーズン初めて土を付ける。さらに前半戦にはローマも破り、インテルとも引き分けた。またレッジーナがこれまで苦手としていたアウェー戦でも、勝ち点3を拾えるようにチームは成長していった。

「攻めて、って感じじゃないけど、我慢して守ってると相手がだんだん焦れて嫌になる。そういう戦い方がハマった」

 チームが好調の際、中村俊はそんな談話を残していたことがある。バランスの良い守備組織で攻撃を受けた後、攻撃に切り替える際は丁寧にボールを繋いで攻める。そういう戦術を構成するために、彼は持ち味を発揮した。

 守備では的確に味方のカバーリングをしながら、良く動いてパスを貰い、クロスにスルーパスにと攻撃の軸としてボールを散らす。気のきいたポジショニングと個人技でうまく時間を使い、「相手を焦らす」戦略の中心人物となっていた。

 結局、レッジーナはクラブ史上最高成績となる勝ち点を積み上げて残留に成功。中村俊も故障しない限りは常に主力として重用され、33試合に出場した。

 のちにマッツァーリ監督に話をきくと、「中村をトップ下にあてがったのは成功だった。彼がセルティック移籍後活躍したが、私があてがった通りのプレーエリアでやらせているんだよ」と自画自賛していた。セリエA最後の1年でトップ下として味のあるプレーを見せた上で、中村俊はスコットランドへと送り出されたのである。

 中村俊輔がいた前後は、レッジーナというクラブにとっても黄金期だった。2006/2007シーズンには勝ち点マイナス15(途中で11に軽減)というとてつもないペナルティを課せられながら、奇跡のA残留も果たしている。こうした活況ののち、ホームのオレステ・グラニッロには歴代の選手の肖像画が内部の壁面に描かれた。その中には、中村俊の絵もあった。輝かしい時代を飾った一人として記憶されていたのだ。

 なおレッジーナは、その後様々な紆余曲折を経験した。2009年にセリエBに、14年には3部に降格。その翌年には経営破綻に陥り、サンタ・アガタの練習場も一度抵当に出されるという目にまであった。

 現在はこの地にルーツのあるローマ人投資家ルカ・ガッロ新会長のもとで少しずつ経営を立て直し、セリエC(第3部)からの再興を狙っている。

(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

【了】

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