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モウリーニョが嘱望した“新参謀”は何者か? 弱冠30歳で超有能。トッテナムに施す変貌の一手

ジョゼ・モウリーニョがトッテナムの監督に就任した。そこで注目を集めているのがコーチングスタッフの人選である。特にアシスタントマネージャーという監督に最も近い重要な役職に、ファンにとっては無名のポルトガル人ジョアン・サクラメントを迎え入れたことも話題となっている。30歳の若き新参謀は一体どのような人物なのだろうか。(文:プレミアパブ編集部)

シリーズ:○○とは何者か? text by プレミアパブ編集部 photo by Getty Images

14年間モウリーニョを支えてきた前任者の偉大さ

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トッテナムのアシスタントコーチを務めるジョアン・サクラメント(左)とジョゼ・モウリーニョ監督【写真:Getty Images】

 サクラメントについて説明する前にモウリーニョが溺愛した過去のアシスタントコーチの優秀さについて触れるべきだろう。

 CLを2度制した名将は率いるクラブごとにコーチングチームの編成を変えている。現マルセイユ監督のアンドレ・ビラス=ボアスも元同僚の1人として有名だが、共に闘ったのはチェルシーとインテル時代のみだ。しかし2004年のチェルシー時代から昨季までの14年間、アシスタントマネージャーのみは一度たりとも変えなかった。なぜならその役割を担ったルイ・ファリアこそがポルトガル人監督の右腕であり頭脳でもあったからだ。

 2004年夏にチェルシーに来たモウリーニョは「コーチは基本的にクラブが準備した方を受け入れる。だがルイ・ファリアは譲れない」と語った逸話があるほど信頼を置いていた。2001年にウニオン・レイリアの監督になったモウリーニョは同郷のファリアをフィットネスコーチに任命すると、ポルト、チェルシー、インテル、レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッドで数々のタイトルを共に獲得。合計17年間を共に過ごし、名参謀としてファリア自身も一躍名を上げた。

 ファリアに関して「実はモウリーニョより優秀だった」と語る関係者もいる。

 というのも「偉大なピアニストは、ピアノの周りを走らない」とはモウリーニョが自身の練習スタイルを表した言葉だが、これはポルト大学の元教授ビクトール・フラーデ氏が1980年代に提唱した戦術的ピリオダイゼーション理論から来る考えである。

 本理論は『複雑性をなるべく排除せずに、実践に近い練習をすることで試合でおこる不確実要素を練習に反映させる』ことを主眼に置いており、試合に近い環境を練習で創り出すことによって本番での肉体的、精神的な優位を作ることを狙う。そんなモウリーニョ自身が信奉した指導理論を、練習に落とし込んだのはファリアだったという。
 
 そんな優秀なアシスタントマネージャーは、2018年夏にモウリーニョの下を去り、今年1月にカタールの強豪アル・ドゥハイルの監督に就任している。その後のモウリーニョ率いるユナイテッドの不調は、ファリア退団が大きかったとも言われている。

ジョアン・サクラメントとは?

 経験豊富で絶大な信頼を置いていたルイ・ファリアの代役選びに関して、モウリーニョには十分な時間があった。だからこそ弱冠30歳ジョアン・サクラメントの抜擢には注目が集まっている。

 サクラメントはルイ・ファリアと同じポルト北西部のバルセロス出身だ。サウスウェールズ大学でフットボールコーチングとパフォーマンスを専攻し修士まで学んだ。英メディア『スカイ・スポーツ』によると、親は指導者になることに反対しエンジニアになることを求めていたが、彼のサッカー熱は非常に強く第一級優等学位を得るほど優秀な成績を修めたという。

 サウスウェールズ大学の元講師でスウォンジーやミドルズブラでアシスタントマネージャーを務めたことのあるデイビッド・アダムス氏は「彼は試合を分析してとらえるのを好む。さらにモウリーニョが利用する戦術的ピリオダイゼーションの信奉者である」と教え子を称している。

 大学卒業後はウェールズ代表関連の仕事に従事していたサクラメントを高く評価したのは、リールで移籍の責任者であるスポーツダイレクターの要職を務めるルーカス・カンポスだ。カンポスは過去にはモナコでも同職を務めて、ムバッペやベルナルド・シルバの才能を見抜き獲得を実現。PSGを抑えてリーグ優勝を達成したチームの立役者として密かに話題となった。

 米メディア『ザ・アスレティック』によるとそんなカンポスはモナコ時代に、大学卒業後のウェールズでのサクラメントの仕事ぶりに感激し、モナコで分析官の仕事を与えている。結果、サクラメントはモナコを優勝に導いたレオナルド・ジャルディムらの下で働くなど、トップレベルでの経験を詰むことになる。そしてその後カンポスがリールに仕事場を移すタイミングで、サクラメントも引き抜かれて活躍の場を北フランスの地に移した。

 リールでは、戦術家として名高いマルセロ・ビエルサらと仕事をすることになったが、当のビエルサがリールで半年ももたなかったこともあり、17/18シーズンのリールでは暫定監督も経験。前任者の堅守速攻型のサッカーから、4-3-3で主導権を握り積極的に攻めるチームに変貌させる。結果、就任2試合目で2位リヨンに攻撃的な姿勢で勝利して18位に沈むクラブに久々の勝ち星をもたすことにも成功した。

 選手の評価も高く、米メディア『ザ・アスレティック』によると、当時のDFスマオロは「固定化された練習をより流動的でボールを使う機会の多い練習に変えたのがサクラメントだった」と語る。

 6試合、暫定監督を務めたサクラメントはその後アシスタントマネージャーに戻ったが、チームは攻撃的な姿勢を引き継いだ。結果、18/19シーズンこそ17位で終えたリールだったが、翌シーズンは2位で終わるなど躍進。後にアーセナルに移籍するニコラ・ペペが得点ランク2位の22得点も決めるなど、チーム、選手ともに成長させるなど貢献した。

モウリーニョとの邂逅と今

 こうしてサクラメントのキャリアを振り返るとモウリーニョとの接点はないように思える。しかしスパーズの新監督とポルトガルの若者を繋いだのもカンポスだった。

 米メディア『ザ・アスレティック』によると、友人カンポスの話を聞いたモウリーニョはサクラメントへの関心を強め、ユナイテッド退任後もリールの試合をチェックするほどだったという。

 大学での優秀な成績や若くして豊富な現場経験、そしてポルトガル語、フランス語、英語を操る語学力に56歳の智将は惹かれた。だからこそモウリーニョは、リールに在任中にもかかわらず、サクラメント引き抜きを敢行。結果、リールのクリストフ・ガルティエ監督は「ここまでズルい引き抜きはあるか?」と怒りを露わにしたが、モウリーニョとしてはそこまでしてでも欲しかった指導者だったのだ。

 こうしてサクラメントは活躍の場をスパーズに移したようだが、『ザ・アスレティック』によると、すでに普段の練習の取りまとめや試合前のウォームアップも任されているという。

 ここまでサクラメントのキャリアを振り返ると、現在のスパーズが8試合で19得点14失点と、モウリーニョの過去を考えると未だかつてないほど攻撃的なサッカーを披露している理由がわかる。言わずもがなサクラメントの影響だろう。右SBのセルジュ・オーリエが自由に動き回り、最終ラインは3枚でカバーするサッカーは若きポルトガル人のアイディアである可能性が高い。

 今後、モウリーニョの下でスパーズのサッカーの内容は変化していくだろう。ただし右腕が変わったのも確か。以前のモウリーニョのチームほど守備的なサッカーにはならないかもしれない。若く、攻撃的なサッカーを目指す優秀な右腕と共に、モウリーニョ率いるスパーズはどんなチームを目指すのか。

(文:プレミアパブ編集部)

【了】

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