10年、宇津木瑠美。「いないとぽっかり穴が…」「仏でトップになれる」。異国で放った最高の輝き【リーグ・アン日本人選手の記憶(8)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。これまでにもセリエA、ブンデスリーガなどに多くのサムライが挑戦したが、自身の成長を求め新天地にフランスを選ぶ者も少なくはない。現在も酒井宏樹や川島永嗣がリーグ・アンで奮闘中だ。今回フットボールチャンネルでは、そんなフランスでプレーした日本人選手の挑戦を振り返る。第8回はMF宇津木瑠美。(取材・文:小川由紀子【フランス】)

2020年05月15日(Fri)10時00分配信

シリーズ:リーグ・アン日本人選手の記憶
text by 小川由紀子 photo Yukiko Ogawa
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フランス挑戦の決定打となったのは?

宇津木瑠美
【写真:小川由紀子】

 今では女子サッカー界で日本は強豪国と認識されているが、大きな転機となったのはやはり、2011年のワールドカップ優勝だ。この大会以降、海外でも日本人は「優勝国の選手」という、高い評価とともに迎えられることになった。

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 しかしそれ以前にも、日本を飛び出して異国で鍛錬していた選手はいた。そのうちの一人が、2010/11シーズンにモンペリエに入団したMF宇津木瑠美だ。

 モンペリエは、このエリアにあった女子サッカークラブが、2001年にリーグ・アン所属の男子クラブ、モンペリエHSCに吸収されて女子部となったもので、2003/04シーズンにリーグ初優勝。リヨンが13連覇中の現在のフランス女子リーグにおいて、毎年ポディウムの座を争う位置につける国内の有力クラブだ。

 モンペリエが宇津木を獲得する決定打となったのは、2009年8月にフランスで行われたフランス代表対なでしこジャパン戦だと言われている。この試合に先発フル出場した宇津木は、敵陣で4-0という快勝に貢献。このときの活躍ぶりが関係者の目に止まった。

 宇津木に取材する機会を得たのは翌2011/12シーズンになってからのことなのだが、中学入学と同時に入団して以来9年間所属していた日テレベレーザ(入団当時は下部組織のメニーナ)を離れ、21歳で海外に挑戦した当時の心境を、彼女はこう語ってくれた。

「自分は中学から大人になるまで、ベレーザという日本で一番強いチームで、個が個で勝っていくというサバイバルの中で育ちました。そこで得たことももちろん大きいですが、得られなかったものもたくさんある。ここ(モンペリエ)へきて、サッカーは11人でやるものだ、というのを毎日体感しています。助けて、助けあってという…」。

 宇津木は入団初年度の開幕戦からフル出場し、その後も守備的MFのポジションでスタメンに定着。折り返し地点を迎えた1月のロデーズ戦で初ゴールをあげると、1年目から22戦中19試合に出場して3得点と、早くも主力級の活躍を見せた。

 16歳から代表入りし、2007年のワールドカップや2008年の北京五輪にも出場している宇津木だけに、さすが、という気もする。しかし実際は、その数字の裏側に苦悩と努力の日々があった。

「プロなんだから活躍して当然」という厳しい要求

なでしこ
2011/12シーズンにモンペリエに加わった鮫島彩(左)。宇津木にとって彼女の存在も大きかった【写真:小川由紀子】

 日本の人工芝のピッチは年間を通じてコンディションは同じ。しかしこちらでは、真夏は強い日差しでカチカチになるが、冬は霜でぐちゃぐちゃ。今まで当たり前のようにできていたトラップや、なんでもないインサイドパスが思い通りに蹴れない。だからといって「グラウンドの状態が…」は言い訳にならず、ミスはミスとして怒られる。

 少しでもパスがズレれば足の速い選手にかっさらわれる。日本では体験しなかった、コンマ何秒のズレでインターセプトされる、という感覚。パスについても、どんなボールでも当たり前に止めてくれて何事もなかったようにプレーが進んでいたのは、受け手である周りの選手が巧かったからで、相手が受け損ねたのは「根本的には自分のパスミスだった」ということに、こちらに来て初めて気がついた。

 また、日本なら味方のカバーが徹底しているおかげで敵にボールが渡ることはないという場面も、カバーリングの意識が低いこちらでは同じようにはいかない。よって自分のキープ力がより試された。

 これまで表面では見えていなかった技術やテクニックが“あぶり出される”状況の連続。それでも、順応する猶予が与えられるような優しい環境ではなかった。現在はパリ・サンジェルマン(PSG)もプロ化しているが、当時、選手全員がプロ登録されていたのはリヨンだけで、モンペリエでは宇津木のような外国人選手と代表クラスの3、4名だけ。サラリー面など待遇がいい分、彼女たちには「プロなんだから活躍して当然」という厳しい要求が突きつけられていた。

 しかし、そのような環境に置かれたことは、確実に成長につながった。これまで以上に研ぎ澄まして相手が確実にとれるパスを出す、日本でのように、常にパスコースを2つ想定するような習慣がこちらの選手たちにはないのであれば、その状態で次のことを考える判断力を磨く…等々、ひとつひとつのプレーに対する考え方の違いを学習材料として、宇津木は柔軟に取り組んだ。

 デビューシーズンを終え、ワールドカップで優勝すると、2011/12シーズンにはなでしこジャパンの同僚、鮫島彩も加わり、2人は「世界王者」のメンバーとして、ピッチ上でも息のあったパス交換など、際立ったパフォーマンスを見せた。

モンペリエを牽引する存在に

 貴重なレフティーである宇津木には、当時リーグ6連覇中だった最強リヨンのパトリス・ライー監督も注目していて、真剣に獲得を考えていた。宇津木自身もモンペリエで2年間の契約を終えたあと、違うクラブや環境でステップアップを図りたいという思いを抱いていたが、モンペリエはすでにチームの中核となっていた宇津木を頑として手放さなかった。

 この頃には現地での評価も定着していて、サポーターやクラブスタッフは、「ルミがいない試合は、ピッチにぽっかり穴があいてしまう」と語り、元フランス代表MFのサラ・エムバレク監督も「あと1年ここでやれば、フランスでトップ選手になる」と太鼓判を押していた。

 3シーズン目が終わったあとは、前年にも増して移籍したい思いは強まったが、結果的にモンペリエに残ることが決まると、翌シーズンからは彼女自身に変化が見られるようになった。それまでは、日本でのサッカーとの違いから学ぶ成長過程にある感じだったが、このシーズンからは、宇津木はより主力としてチームを引っ張る側に立っていた。

 監督が交代した節目でもあり、チームメイトも彼女の特性を十分に理解している段階にきて、「ルミに預ければなんとかしてくれる」という存在に、彼女はなっていた。

 試合後の発言にも、「ボールを回せるプレーをするために自分がいる。チームをそういうふうにもっていけないのは自分の力不足でもある。“頼られる度”をアップするプレーをするのが目標」といったように、自分がチームをどう動かせるか、という全体を見回しての思いがよりこめられるようになってきた。

「残ると決めた以上チームに賭けたい思いはあった」と言いきった彼女の覚悟はプレーにも存分に表れていて、2013/14シーズンはキャリアハイとなる、シーズン10得点をあげている。2015年のワールドカップ後は、蓄積した疲労も影響して怪我がちのシーズンとなったが、最終的に宇津木はモンペリエで6年ものあいだ主力としてプレーし、2016年夏にアメリカのレインFCへと旅立った。

宇津木は話術もトップクラス

 残念だったのは、何度もチャンピオンズリーグ出場圏内の2位に手が届きかけていながら実現しなかったこと。そして、6年の在籍中4度フランスカップの決勝戦に出場しながら、毎回1点差やPK戦といった惜敗でトロフィー獲得がかなわなかったことだ。

 入団当初は、いろいろ不便なことや寂しい思いもあっただろうと思う。プレーについて悩むことがあっても、2年目に鮫島が来るまでは、同じ立場で状況を理解してくれるような相談相手も近くにいなかった。

 それでも、日本との生活や人々の考え方の違いについて、「おもしろい」「こういう経験を求めていた」と言っていた宇津木は、元来、外国生活に向いた性格なのだろうと思う。それに、とんでもなくかわいらしいお方で、ピッチの上では勇ましくてひたすらかっこいいのに、ピッチを下りると思い悩む乙女な一面もあって、そのギャップも魅力的だった。

 ちなみに宇津木の話術にも、毎回感心させられた。彼女がテレビ中継で試合の解説をしたのをお聞きになった方もいるかもしれないが、状況や戦術をわかりやすく言葉にできる術はすばらしく、話を聞くたびに勉強になることばかりだった。

 たとえば、「怪我で欠場が続き試合勘が戻っていない」など、「試合勘」という言葉を何気なく使っているが、選手にとって具体的にはどういう状態なのかを彼女の言葉で説明すると、「ボールは自分よりも速く動く。試合に出ていないと、相手やボールを目で追う速さといった部分で感覚が鈍ってくる」となる。そう言われると一気にイメージしやすい。

「こちらの選手は、0から100に持っていく力が強いし速い」という話も興味深かった。だからこそ「相手が反応してから動くのでは遅い」のだと。

「サッカーは、シンプルにボールをゴールに入れることだ、と考えているのがヨーロッパの選手。良いパス回しも、点が入らなければそれは結局ゼロなんだよ、という…すごく厳しいけれど、それが楽しみで、それがサッカーで、その合間で模索しながら勝ち点をとりつつ面白さをみつけていく、というのが上手なサッカー選手なんだと私は思っているんです」。

 アメリカでも宇津木は、自分のサッカーを追い求めていることだろう。これからも、ピッチの上で、そして願わくはマイクの前でも、輝き続けて欲しい。

(取材・文:小川由紀子【フランス】)

【了】

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