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代表 4年前

イタリア代表、歴代ストライカーの系譜。元Jリーグ戦士からクセ強めの重戦車FW、そして21世紀の悪童まで

イタリアといえば堅守を象徴する“カテナチオ”が有名だが、一方でその守備をかいくぐってゴールネットを揺らす優秀なストライカーたちも輩出されてきた。ひと癖もふた癖もあるエースたちは、世界の舞台でも存在感を発揮している。2006年にはワールドカップ優勝も果たしたイタリア代表で、各世代のエースストライカーを担った選手たちの系譜を振り返る。(2020年6月掲載の記事を再編集したものです)

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

アメリカW杯(1994)

シニョーリ マッサーロ
ジュゼッペ・シニョーリとダニエレ・マッサーロ【写真:Getty Images】


ジュゼッペ・シニョーリ
生年月日:1968年2月17日
個人成績(1994):6試合出場/0得点2アシスト

 小柄だが高いゴールセンスを武器に、ラツィオのエースストライカーとしてセリエA得点王を3度獲得した。こうしたクラブレベルでの実績が豊富な一方で、イタリア代表ではアリゴ・サッキ監督の信頼を掴みきれず主役になることができなかった。1994年のアメリカW杯は直前のシーズンに自身2度目のセリエA得点王に輝いていながら、徐々に出場時間が減っていき、決勝のブラジル代表戦はピッチに立てなかった。準々決勝のスペイン代表戦では途中出場で不得意な左サイドを任されるなど不遇で、同大会は6試合出場無得点に終わった。

ダニエレ・マッサーロ
生年月日:1962年5月23日
個人成績(1982):0試合出場/0得点0アシスト
個人成績(1994):6試合出場/1得点0アシスト

 1994年のアメリカW杯直前、8年ぶりの代表招集を受け、そのまま本大会でもメンバー入りを果たす。所属していたミランでリーグ戦11得点を挙げ、セリエA3連覇の原動力となったシーズンを終えてのワールドカップ参戦。ローテーション起用ながら6試合に出場し、グループリーグ第3戦のメキシコ代表戦ではイタリア代表では最初で最後のゴールも挙げた。決勝のブラジル代表戦では先発フル出場で120分間奮闘したが、PK戦でまさかの失敗。自身2度目の優勝の瞬間を味わうことはできなかった。ワールドカップの1年後にはインテルなどからも関心を示される中、Jリーグの清水エスパルスに移籍。日本では2シーズンでリーグ戦20試合出場10得点という成績を残し、1996年限りで現役を引退した。

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