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リバプールのゲーゲンプレスを完成させた独自の補強戦略とは? クロップが求めるのは… 【リバプールの20年史(終)】

1989/90シーズンを最後にリーグ優勝から遠ざかっていたリバプールは今季、19度目のリーグ優勝を果たした。80年代にサッカー史に残る2つの悲劇を目の当たりにしたリバプールはその後、どのような道のりを歩んできたのか。最終回となる第4回は、30年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたユルゲン・クロップのチームを振り返る。(文:西部謙司)

シリーズ:リバプールの20年史 text by 西部謙司 photo by Getty Images

30年ぶりのリーグ制覇

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【写真:Getty Images】

 2020年6月25日、リバプールのプレミアリーグ初優勝が決まった。前日のクリスタル・パレス戦に勝利、2位のマンチェスター・シティがチェルシーに敗れて勝ち点差が23となり、7試合を残して優勝が決まっている。第31節時点での優勝は史上最速だった。

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 リーグ優勝は実に30年ぶり。プレミアリーグ以前はイングランド最強クラブだったリバプールとしては念願のタイトルである。これまで何度か手を掛けながら、ぎりぎりで逃してきたものを今度こそ手中に収めた。

 2015/16シーズン、第8節時点で10位だったリバプールはブレンダン・ロジャーズ監督を解任し、ユルゲン・クロップを新監督に迎えた。ここからの5シーズンで優勝へたどり着くことになる。

 クロップはボルシア・ドルトムントを率いてブンデスリーガを連覇した気鋭の監督だった。ゲーゲン・プレッシングと呼ばれる前線からのプレス、トランジションの速さ、インテンシティの高いプレースタイルで知られていた。10月から率いた最初のシーズンは8位でフィニッシュ。翌16/17は4位、17/18も4位だったがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)準優勝。昨季18/19は97ポイント、わずか1敗で2位。CLでは14年ぶりの優勝。着々と頂上へ近づいてきた。

 クロップはドルトムントの監督時代に、全盛期のバルセロナのサッカーを「退屈」と言っている。もちろんバルサの強さは認めているのだが、まるで1つのチームしかプレーしていないような、整然とパスを回し続けるスタイルが好みではないのだ。クロップにとってサッカーはもっと激しく、混沌としていて、開放感に溢れているべきものなのだろう。ドイツ人は「自由を恐れながら、自由を強く求める」といわれる。秩序と規律のイメージだが、その反動としてカタルシスへの欲求も強い。クロップ監督のサッカーは秩序と自由の間を大きく揺れ動くドイツ人の傾向をそのまま表現するものだった。

的確な補強戦略

 丁寧にパスをつなぎ、理詰めで押し込んでいくバルセロナを代表とするポゼッション・スタイルとは違っている。多少強引でも縦へ速く攻め込み、ボールを失ってもそのままハイプレスへ移行する。相手が守備を固めるのを待つように崩していくよりも、守備が固まる前に攻め込み、ハイプレスで奪い、波状攻撃を仕掛ける。激しく、混沌としていて、それゆえに即興性も要求される。

 相手に息もつかせぬ攻守から、ストーミングとも呼ばれた。バルセロナの流れを汲むライバルのシティとは対照的ともいえるプレースタイルである。

 チームのスターだったラヒーム・スターリングやフィリッペ・コウチーニョを放出しながら、ロベルト・フィルミーノ、フィルジル・ファン・ダイクといった軸になっていく選手を的確に補強していった。

 17/18シーズンの冬にエース格のコウチーニョをバルセロナに放出したときに得た移籍金は約218億円、ファン・ダイクの獲得に要したのはDFとしては破格の約114億円だが、差額が100億円以上ある。18/19にはナビ・ケイタ、ファビーニョ、アリソン・ベッカーを総額250億円で獲得する大型補強に踏み切っているが、それまでの放出と獲得で利益を出しているのが効いていた。

 クロップ監督の目指すスタイルは他とは少し違っていて、ライバルと選手獲得でそれほど競合しない。ドルトムントでも走力に優れた若手を補強していたように、リバプールでも独自路線の補強が成功している。サディオ・マネ、モハメド・サラー、フィルミーノは現在世界最高の3トップともいわれているが、リバプールが獲得した時点ではいずれもそこまで評価の高いFWではなかった。

ファンに寄り添うチーム

 リバプールが前回優勝したのは1989/90シーズン。ケニー・ダルグリッシュ監督が率いていた。クラブのスターだったダルグリッシュはヘイゼルの悲劇の後、ジョー・フェイガン監督の辞任をうけてプレーイング・マネジャーとして、85/86シーズンの“ダブル”を達成した。87/88にはピーター・ベアズリー、ジョン・バーンズを補強してチームを作り替え、わずか2敗で優勝。88/89も優勝したが、91年に辞任している。

 1989年4月15日にヒルズボロの悲劇を起き、ダルグリッシュは心身共に消耗していたといわれる。計96人が死亡した群集事故、多くのリバプールファンも命を落とし、ダルグリッシュは1日に4つの葬儀に参列したこともあった。ヘイゼルとヒルズボロ、2つの悲劇の間でのリーグ優勝3回が最後の黄金期だった。

 それから30年、サポーターも代替わりしているがアンフィールドの熱狂は変わらない。そのわき上がるパッションとクロップ監督のサッカーは相性がよかったのかもしれない。ダルグリッシュへの優勝報告で号泣したクロップの心情は、クラブを支えてきたファンとぴったりと重なっているに違いない。

(文:西部謙司)

【了】

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