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アスリートに何を期待するのか? イングランド代表FWが起こした行動とスポーツの役割【サッカー本新刊レビュー:試合が2倍おいしくなる本(6)】

シリーズ:サッカー本新刊レビュー text by 実川元子 photo by Getty Images

サッカー本新刊レビュー

小社主催の「サッカー本大賞」では、4名の選考委員がその年に発売されたサッカー関連書(実用書、漫画をのぞく)を対象に受賞作品を決定。このコーナー『サッカー本新刊レビュー』では2021年以降に発売されたサッカー本を随時紹介し、必読の新刊評を掲載して行きます。



『アスリートたちが変えるスポーツと身体の未来 セクシュアリティ・技術・社会』

(岩波書店:刊)
編集:山本敦久
定価:2,750円(本体2,500円+税)
頁数:266頁

 今、女性がサッカーをする「権利」を勝ち取っていく過程についてのノンフィクションを翻訳している。著者はアーセナル・ウィメンFC(岩渕真奈選手現所属クラブだ)の元選手。19世紀半ばからボールを蹴る女性たちが英国だけでなくフランスやイタリアなど欧州大陸の国々に存在していたこと、だが一時的な「ブーム」で終わって、第二次世界大戦後には女性がボールを蹴ること自体が、たとえばドイツなどでは法律で禁止されたという歴史を紹介する。禁止した理由は、白人イングランド人の男性が決めたルールと参加基準を決めたサッカーというスポーツに、それ以外の属性を持つ人たちが関与することを支配者層が許さなかったからだ。

 しかし時代は変わった。サッカーだけでなくスポーツ界には、前世紀に白人男性が決めたルールと規範に従うことに疑問の声を上げるアスリートたちが登場している。オリンピックもワールドカップも一応建前では「公平」「平等」をうたい、人種や政治思想、社会階層に関係なく広く誰でもが参加できるように門戸が開かれているということになっているが、実態は違うことに人々は気づきはじめた。昨年の東京オリンピックでは、男女と二つに性別を分けることにも風穴を開けようという動きも(一応建前では)出てきた。またスポーツの場に政治を持ち込むな、という主張に対しても、スポーツ界に蔓延する人種差別や女性やLGBTQ+の人たちへの差別撤廃を訴えるトップアスリートが出てきて、彼ら/彼女らを支持する人たちもSNSで声を上げている。

 それではスポーツが差別なく誰もが「公平」に競えて楽しめるものになったかといえば、残念ながらまだ道半ばだ。特にサッカーにおける人種、性別、階級差別は、いまだにピッチやSNSで露骨に示される。そんな社会におけるスポーツの役割とはなんだろう? すばらしいパフォーマンスを見せるアスリートたちに、私たちは何を期待しているのだろう?

 スポーツ社会学を専門とする山本敦久が編集した本書は、サッカーだけでなく、陸上、テニス、ボクシングなどの競技で、世界トップに立つ9人のアスリートについて9人の論客が、セクシュアリティ」「技術」「社会」の観点から、2020年代におけるスポーツ像、アスリート像について論じる。サッカーからはアメリカ女子代表キャプテンを務めたミーガン・ラピノー選手、ブラインド・サッカーでブラジル代表として3回のオリンピック金メダル獲得に貢献したリカルド・アウベス選手、そしてイングランド代表のマーカス・ラシュフォード選手が取り上げられている。

 この3人だけでなく、9人のアスリートに共通するのは、「近代的な人間(ヒューマン)——男性が優位であり、白人が中心的存在であり、西洋社会が進んでいて、健常者を正常とする——にとっての理想を実現する場所」(山本)にはいないことだ。つまり、近代スポーツのその先にあるスポーツの未来を示唆するアスリートであることだ。

 ラピノーはレズビアンであることを公表し、スポーツ界の同性愛嫌悪への抵抗を示し、また男女の賃金格差の是正を主張し、人種差別への抗議の姿勢を示して一時、代表の座を外れながらも声を上げ続けた。リカルド・アウベス選手は、視覚に頼ってプレーする選手とはまったく異なる身体器官の使い方で身体能力や感覚を磨き、フットサルに新しい次元を切り拓いている。そしてラシュフォード選手は、コロナ禍下でロックダウンしたイギリスで、夏休み期間中も貧困層に給食を配布するサービスを政治家に依頼する、という社会事業家としての一面を示した。

 オリンピックでうたわれる「より速く、より高く、より強く」というスローガンは、はたして21世紀のスポーツが目指すものなのか? 「普通」の人間の身体とはどのようなものなのか? そして社会においてスポーツが、そしてアスリートが果たす役割とはいったい何なのか? それを考えさせる論集だ。答えは私たち自身がこれから見つけていかねばならない。

(文:実川元子)


実川元子(じつかわ・もとこ)
翻訳家/ライター。上智大学仏語科卒。兵庫県出身。ガンバ大阪の自称熱烈サポーター。サッカー関連の訳書にD・ビーティ『英国のダービーマッチ』(白水社)、ジョナサン・ウィルソン『孤高の守護神』(同)、B・リトルトン『PK』(小社)など。近刊はS.G.フォーデン『ハウス・オブ・グッチ』(早川書房)。

【了】

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