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セリエA 1年前

ACミラン21世紀ワーストイレブン。ボヌッチ、リバウド…期待に応えられなかった11人

シリーズ:ワーストイレブン text by 編集部 photo by Getty Images

DF紹介

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【写真:Getty Images】


RSB:アンドレア・コンティ(元イタリア代表)
生年月日:1994年3月2日
在籍期間:17年7月~21年1月、21年6月~22年1月
移籍金:2400万ユーロ(約29億円)
クラブ通算成績:52試合0得点5アシスト

 アタランタで頭角を現し、2017年に2400万ユーロ(約29億円)の移籍金でミランにやって来たが、結果は厳しいものになっている。加入1年目の9月に行われた代表戦で負傷すると、その後のリハビリトレーニング中に左ひざ前十字靭帯断裂の重傷を負う。この影響で1年目を棒に振ることになり、2年目の2018/19シーズンも出遅れ、ほとんどの試合をベンチから眺めることになってしまった。

 在籍3年目の2019/20シーズンは一時レギュラーとしてプレーしたが、終盤戦に負傷。回復までに時間を費やしたことで2020/21シーズンの入りが遅れると、その間にダビデ・カラブリアが急成長したことで完全なるベンチ要員となってしまった。そして同シーズン途中にパルマへレンタル移籍。その後ミランへ復帰したが、すでに居場所はなく、2022年1月にサンプドリアへ去ることになった。

CB:レオナルド・ボヌッチ(イタリア代表)
生年月日:1987年5月1日
在籍期間:17年7月~18年8月
移籍金:4200万ユーロ(約50億円)
クラブ通算成績:51試合2得点1アシスト

 ユベントスで絶対的な地位を築き、セリエAの6連覇などに大きく貢献していたが、2017年にミランへの電撃移籍を決断。世間を驚かせると同時に、ミラニスタの期待感を大きく膨らませた。ミランではさっそく主将に就任し、当然ながら主力にも定着。大きな怪我をすることもなく、1年目だけで公式戦51試合出場を果たすことになった。

 しかし、チームとしてなかなか結果が出なかったことで、キャプテンということもあり批判の的となることも多かった。その影響もあってか、シーズン終了後にまさかのユベントス復帰を希望。そして、マッティア・カルダーラとの実質トレードという形で、颯爽と古巣クラブへ戻っていった。ミランの歴史に泥を塗っただけでなく、全世界のミラニスタから嫌われたと言ってもいいだろう。

CB:オグチ・オニェウ(元アメリカ代表)
生年月日:1982年3月24日
在籍期間:09年7月~11年1月
移籍金:フリー
クラブ通算成績:1試合0得点0アシスト

 ベルギーの強豪スタンダール・リエージュで存在感を強め、2009年にフリーでミランへとやって来た。しかし、この移籍は大きな失敗だったと言わざるを得ない。1年目を代表の試合で負った大怪我によって棒に振る格好となり、2年目は全く出場機会に恵まれず。結局、2009/10シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)1試合、それも30分間出場したのみで、ミランから姿を消すことになった。

 ミラニスタの記憶に唯一残っているのは、2010年11月のことだろう。練習の紅白戦でズラタン・イブラヒモビッチに後ろから激しいタックルを受けると、これに激怒し、スウェーデンの大型FWと殴り合いの喧嘩を始めたのである。当時のマッシミリアーノ・アッレグリ監督によって、もちろんトレーニングは中断。止めに入ったジェンナーロ・ガットゥーゾは顔面を殴られたようだ。

LSB:タイエ・タイウォ(元ナイジェリア代表)
生年月日:1986年4月16日
在籍期間:11年7月~12年1月
移籍金:フリー
クラブ通算成績:8試合0得点0アシスト

 2005年冬に元日本代表指揮官フィリップ・トルシエ率いるマルセイユに加入した。2005/06シーズンにレギュラーに定着するとぐんぐん成長していき、2006年にはアフリカ年間最優秀若手選手賞を受賞。リーグ・アン年間ベストイレブンには2007/08シーズン、2008/09シーズン、2010/11シーズンの3回にわたって選出されている。その活躍が評価され、2011年にミランへ移籍することになった。

 しかし、ミランではフランス時代の輝きが影を潜めてしまった。シーズン開幕前の親善試合で負傷しスタートダッシュに失敗すると、復帰後も全くチームに馴染めず、ルカ・アントニーニの牙城を崩せなかった。すると、ミラン加入からわずか半年でQPRへレンタル移籍。その後、2012/13シーズンにはディナモ・キエフに期限付き移籍し、2013/14シーズンにブルサスポルへ放出されている。

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