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セリエA 6か月前

ジダンとデル・ピエロは似ている。「運命」「本能」意識の外で起きるプレーの解釈【ジダン研究】

text by 陣野俊史 photo by Getty Images

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 選手、そして監督として、数えきれないほどの伝説を残してきたジネディーヌ・ヤジッド・ジダン。そんな不世出のスターに816ページというボリュームを費やした研究書『ジダン研究』(陣野俊史著)が10月13日に刊行された。今回は同書より、ジダンの選手キャリアの大きな転機となるユヴェントス移籍にまつわる「第一章 家族の肖像より ユヴェントスへ」から一部を抜粋して公開する。(文:陣野俊史)

ユヴェントス時代のジネディーヌ・ジダンとアレッサンドロ・デル・ピエロ
【写真:Getty Images】



「答えは私にもわからない」

 この当時のユヴェントスは、スター軍団だった。監督はマルチェロ・リッピ(Marcello Lippi, 1948-)。SSCナポリを立て直した功績から1994年にユヴェントスの監督に抜擢されたリッピは、就任1年目から手腕を発揮する。

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 絶対的エースだったロベルト・バッジョ(Roberto Baggio, 1967-)が怪我で離脱すると※153、チーム編成を大きく変える。前線に魅力ある攻撃陣を並べる。ジャンルカ・ヴィアッリ(Gianluca Vialli, 1964-2023)、ファブリツィオ・ラヴァネッリ、そしてアレッサンドロ・デル・ピエロ(Alessandro Del Piero, 1974-)である。とりわけこのとき、若き(20歳の!)デル・ピエロはバッジョの出場回数を減らすほどの、言わば上り坂の選手だった。

※153 1994年のアメリカ・ワールドカップ決勝で、バッジョが足を引きずってプレーした姿とPKのゴール失敗を、観ていた者は全員覚えているに相違ない。バッジョの怪我と不調は、端的にあの試合に現れていた。

 余分なことを一つ書けば、デル・ピエロにファンタジスタの呼称を与えた1本のシュートが、この年(94年)に生まれている。デル・ピエロ自身の言葉を引こう。「『どうやってあんなゴールを決めたのですか?』。そう聞かれることがある。たとえば、もうずいぶん昔のことになるけれど、1994年のフィオレンティーナ戦でのゴールだ。左後方から飛んできたロングボールを、右足のアウトサイドにダイレクトで当てて決めたあのゴールは、私の名を世界に広めてくれることになった。どうやってあんなゴールを決められたのか? 答えは私にもわからない。無意識のうちに何かがその動きをするように私を揺り動かし、私はそれに従うだけなんだ※154」

※154 アレッサンドロ・デル・ピエロ『デルピエロ 真のサッカー選手になるための10の心得』(豊福晋訳、文藝春秋、2013年)、31頁。ちなみに、このシュートの動画は、以下のとおり。

 読みようによってはどこかスピリチュアルにも響くデル・ピエロの言葉はしかし、彼が自分の意識の外で起こった出来事の原因を「本能」と呼んでいることで、一応は腑に落ちるだろう。説明不能なシュートを、「運命」とか「本能」と呼ぶ点で、デル・ピエロはジダンと似ている。

 話を1996年に進ませよう。ジダンが移籍した際の、ユヴェントスの布陣は以下のとおりである。[4-3-1-2]のフォーメーション。DF陣は左からジャンルカ・ペッソット(GianlucaPessotto, 1970-)、パオロ・モンテーロ(Paolo Montero, 1971-)、チロ・フェラーラ(Ciro Ferrara, 1967-)、モレノ・トリチェッリ(Moreno Torricelli, 1970-)。MFの3枚がヴラディミール・ユーゴヴィッチ(Vladimir Jugovic, 1969-)、ディディエ・デシャン、アンジェロ・ディ・リーヴィオ(Angelo Di Livio,1966-)。トップ下にジダンが入り、攻撃のFW2枚は、デル・ピエロとアレン・ボクシッチ(ボクシッチの代わりにクリスティアン・ヴィエリやニコラ・アモルーゾが入ることもあった)。

 私たちは、アレン・ボクシッチの名前がここで再び登場することに気づく。既述のとおり、1992〜93年当時、ASカンヌとオランピック・ド・マルセイユの間でボクシッチの引き合いがあり、その余波をまともにかぶったのがジダンだった。ボクシッチがユヴェントスに移籍したのがちょうどジダンと同じ96/97シーズンで、2人の奇跡的な共演が目撃されることになった。

 そして忘れてはならない名前がもう一つ。ディディエ・デシャンである。ジダンよりも4歳年上のデシャンは、1980年代の終わりからフランス代表に名を連ねてきた。96年のEURO以後、代表ではキャプテンを担った。クラブチームは、FCナントを皮切りに、OMに5年在籍したのち(つまり、90年代前半のベルナール・タピ時代にOMを支えたことになる)、94年から5年間、ユヴェントスに在籍している。デシャンの選手生活のうち、OMとユヴェントスで10年を数え、現役選手としての大半をこの2チームで過ごしたと言っても言い過ぎではないだろう。

 ちなみに2023年現在までのところ、デシャンが監督として率いたクラブは3つ。ASモナコ(01〜05)、ユヴェントス(06〜07)、そしてOM(09〜12)。自身の所属したクラブで監督をするという行為自体、よくあるケースなのだろうが、徹底している。そして12年から23年まで、合計10年に及ぶ「長期政権」を維持して(ワールドカップ優勝1回、準優勝1回、EURO準優勝1回)、デシャンはフランス代表監督を務めている(カタール・ワールドカップ準優勝の功績から、契約期間は26年まで延長された)。

<書籍概要>

『ジダン研究』

陣野俊史 著
定価:4,400円(本体4,000円+税)

不在によって存在を語り、黙することによって饒舌に語るジネディーヌ・ヤジッド・ジダンの底知れない「内面世界」

ジダンの言葉は、いつも少し足りていない。だからこそ私たちはジダンに向けて、彼の言葉の余白に向けて、言葉を紡いできた。足りない何かに届きたいと思ってきたのだ。それが本書である。――「はじめに~ジダニスト宣言」より

【了】

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