「移籍先はインテルに」ほぼ決まっていた
4歳から所属したサッカースクール、ASDクラブ・ナポリでプレーし、10歳で同学年の友人よりも、30センチも大きかったため、相手チームから常に“年齢詐称”を疑われていたという。
そのため、スタッフはすぐにドンナルンマのIDカードを提示できるように携えていた。小学生の頃、すでにその名はイタリア全土に知れ渡り、13歳のときに、カルチョメルカートのような争奪戦が勃発する。
ASDクラブ・ナポリのチーロ・アモーレ会長は、当時を回想する。
「ジジョーネ(ドンナルンマの愛称)は、我々のクラブでは常に年上のカテゴリーでプレーした。彼がフィジカルの面で急成長すると、ナポリを含め、イタリアの主要クラブがこぞって獲得に動いた」
具体的なクラブ名を挙げると、フィオレンティーナとユヴェントスも獲得に関心を寄せていたようだが、新天地はミラノに。
「移籍先はインテルにほぼ決まった。下部組織の責任者、ロベルト・サマデンが、カステッランマーレまで訪れ、私とジジョーネの父、アルフォンソを説得し、彼をインテルに迎えようとした。我々はドンナルンマの両親と一緒にミラノに5日間滞在し、ジジョーネは現地の学校にも入学した」
もはや、ネラッズーリへの移籍は間違いないものと思われた。しかし、ここで、インテルの永遠のライバル、ミランが介入する。
アモーレ会長は続ける。