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フォーカス 1か月前

Jリーグでは圧巻も…。サッカー日本代表では輝けなかった名手5人。一体なぜ? 不遇だった男たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

MF:本山雅志(もとやま・まさし)


【写真:Getty Images】

生年月日:1979年6月20日
日本代表成績:28試合0ゴール5アシスト

 鹿島アントラーズの中心メンバーとして常勝軍団の黄金期を支えた本山雅志は、日本代表で結果を残すことが出来なかった。

 東福岡高校卒業後に鹿島へと加入した本山は、1999年4月に開催されたU-20世界選手権(ワールドユース)で大会準優勝に貢献し、小野伸二と共に大会ベストイレブンを受賞した。この大会で一躍脚光を浴びた同選手は、翌年にフィリップ・トルシエ監督のもとA代表デビューを果たしている。

 その後、クラブで名手ビスマルクから10番を継承し、鹿島の顔となった本山だが、日本代表でクラブほどの輝きを見ることは無かった。というのも、代表における本山のライバルには、小野や中村俊輔、服部年弘らが控えていたのだ。

 その結果、攻撃的MFのポジションは本山が付け入る隙が無いほど飽和状態となってしまい、ベンチに入ることすらままならなかった。そのため、2002年の日韓W杯の招集メンバーからは外れている。

 同大会後は次第に出場機会を得るようになっていったが、それでも途中出場がほとんど。通算28試合出場のうちスタメンは5回のみで、ジーコジャパンでも自分の居場所を見出すことは出来なかった。アピール不足となった本山は2006年のドイツW杯でも招集外となり、以降日本代表としてピッチに立つことは無かった。

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