「どうしたら決められたのか…」「まだまだ甘さがある」
「どうしたら決められたのか…。結果論になっちゃうんで分からないですけど、もっとヘディングの練習をしないといけないと思いました。ああいうところで数字をつけられるかどうかが重要だし、自分にはまだまだ甘さがあるなと感じました」と背番号19は神妙な面持ちで振り返っていた。
その後、69分に細谷が入ってくると、森保一監督は彼と町野に2トップへのシフトを指示。佐野航大は兄・海舟とインサイドハーフに並び、遠藤航がアンカー役を担う3ボランチのような中盤を形成することになった。
「あれは監督の指示で、3人でバランスを見ながらどんどん前に入っていくように言われました。守備も強度を落とさずやっていくことを意識した。それが狙いだったと思います」と本人はやるべきことを明確にイメージしたうえで、攻撃を加速させようと試みた。
実際、遠藤と佐野海舟という守備力の高いプレーヤーが幅広く中盤をカバーしてくれるため、佐野航大は思い切り前へ出ていくことができた。佐野兄弟は異なる持ち味をお互いに生かしあうことができたのだ。
「バランス見てくれる航君が、兄貴もそうですけど、近くにいるので、自分はもう前でのびのびプレーするだけだった。すごくやりやすかったです。兄貴とは長所がお互い違うので、それを試合で出すことができれば、武器になると思います」と彼も前向きにコメントしたが、“兄弟インサイドハーフ”はチームに新たな可能性をもたらしたのではないか。
代表の歴史をひも解くと、兄弟同時出場というのは、“ドーハの悲劇”で知られる1993年10月の94年アメリカW杯アジア最終予選に出場した三浦泰年・知良以来、32年ぶりのことだという。オシムジャパンの時代に佐藤勇人・寿人も代表入りしているが、兄弟がともに欧州で活躍し、近いポジションで出場するというのは、皆無に近い例だ。