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フォーカス 4か月前

かなりのリスク!? W杯1年前に移籍したサッカー日本代表選手5人。その後どうなった?

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

MF:中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)

セルティック時代の中村俊輔
【写真:Getty Images】

生年月日:1978年6月24日
移籍日:2005年7月1日
移籍先:レッジーナ1914(イタリア)→セルティック(スコットランド)
05/06リーグ戦成績:33試合6得点8アシスト

 日本サッカー界を代表する“ファンタジスタ”である中村俊輔を思い出す時、果たしてどのユニフォームを着ている姿を思い浮かべるだろうか。

 人によってその答えは千差万別だが、緑と白の横ストライプ柄のユニフォームを身に纏った中村を想起する人は多いはずだ。今でもセルティックの伝説として記憶されている男は、加入当時大きなリスクを承知の上でスコットランドに上陸していた。

 日韓開催のFIFAワールドカップ2002(W杯)で失意の落選を経験した中村は、大会終了後にイタリアのレッジーナ1914へ加入。3年間プレーしたセリエAで通算80試合に出場して11得点10アシストをマークした。

 だが、充実した日々を過ごすなかでも中村の進化への渇望、ひいてはW杯への思いは増す一方だったのかもしれない。

 ドイツW杯を約1年後に控えた2005年7月1日、稀代のレフティーはイタリアを離れ、セルティックへの完全移籍を決意。加入初年度の2005/06シーズンはリーグ戦33試合で6得点8アシストを叩き出し、一気にチームの中心選手の座を確保した。

 中村の決断は、4年越しのW杯メンバー入りという形で実ることになる。ジーコ監督から絶大な信頼を得た中村は、体調不良が重なるも本大会グループステージ全試合にフル出場。決勝トーナメント進出はならなかったが、チームのために持てる力を出し尽くした。

 慣れ親しんだイタリアに別れを告げてのセルティック加入は、ともすれば言語や生活環境の急激な変化でプレーの質を落とす危険性もあったはずだ。活躍できなければ、2大会連続W杯メンバー落選も起こり得た状況である。

 プレッシャーがかかるなかでも結果を出し、W杯行きにつなげてしまうあたり、さすがは日本サッカー界が誇るレジェンドといったところか。

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