「本当に難しい時期でした」
「自分のなかではやれている、という手応えがあったなかで、それでもフロンターレではどうしても出場機会が訪れなかった。一方で日本のクラブはあまり考えていなかったなかでやりがいがあるというか、ちょうど下位に沈んでいるクラブで、それでも名門という状況もあって移籍を決めました」
水原への移籍が発表された時点で、川崎ではリーグ戦で22試合の出場にとどまっていた。その間に決めたゴールも天皇杯でのひとつだけ。
一方でKリーグ1部を4度制覇した実績をもつ水原は2022シーズンをまさかの10位で終え、2部クラブとの入れ替え戦の末にかろうじて1部残留を決めていた。
2023シーズンの後半戦で小塚は16試合に出場。1ゴールをあげたが、最下位に終わった水原はクラブ史上初の2部降格を喫した。そして、引き続き水原でプレーしていた昨年6月に青天の霹靂を味わった。
U-20オーストラリア代表への招集歴をもつMFピーター・マクリロスとのトレードの形で、同じくKリーグ2部のソウルイーランドFCへ完全移籍した経緯を小塚はこんな言葉で振り返る。
「自分本位ではないというか、ちょっとよくわからない移籍だったので。本当に難しい時期でした」
それでも昨シーズンの後半戦で19試合に出場した小塚は1ゴール3アシストをマーク。3位に食い込んだイーランドは昇格プレーオフを勝ち進んだが、決勝で1部の全北現代モータースに敗れて1部昇格を逃した。ホーム&アウェイ形式で行われた決勝を、小塚はともにベンチに入れない状況で終えていた。
不完全燃焼の状況にいた小塚のもとへ届いたのが、J1復帰を果たした清水からのオファーだった。夏に31歳になるシーズンで日本への復帰を即決した小塚は、清水の一員になった心境をこう振り返る。