明治安田J1リーグの第38節(最終節)が12月6日に開催され、鹿島アントラーズはホームで横浜F・マリノスと対戦した。勝てば優勝が決まる一戦を2-1でものにし、9年ぶりのリーグ制覇が決定。この試合でボランチに入った三竿健斗は、シーズンの集大成のようなパフォーマンスを見せた。彼を変えた指揮官の言葉とは――。(取材・文:元川悦子)[1/2ページ]
——————————
三竿健斗が鬼木達監督にもらった言葉
鹿島アントラーズと柏レイソルの一騎打ちの構図となっていた2025明治安田J1リーグの優勝争い。
勝ち点1差で首位に立つ鹿島は、12月6日の最終節・横浜F・マリノス戦で勝ち切れば、文句なしで9年ぶりのリーグタイトルを手にできる状況だった。
本拠地・メルカリスタジアムには今季最多となる3万7079人もの大観衆が集結。鬼木達監督も「この雰囲気は最高で最強」と表現したが、選手たちは本当に力強いサポートを感じながら戦えたことだろう。
この日の指揮官は前節・東京ヴェルディ戦で決勝弾に絡んだ荒木遼太郎、松村優太をスタメンに抜擢。「彼らが自分たちで勝ち取った」と話すように、生え抜き6年目のコンビにチームの命運を託した。
今季の鹿島は「年齢に関係なく調子のいい人材を使う」という基本哲学が浸透しているが、今回の鬼木采配は1つの象徴だと言っていい。
彼らを含めたアタッカー陣を中盤で確実にコントロールしなければならなかったのが、三竿健斗と知念慶のボランチコンビだ。
特に植田直通、鈴木優磨とともに9年前の優勝を知る三竿の存在価値は非常に大きかった。
「昨日(12月5日)の練習後、オニさんと話したんですけど、『健斗は真面目なタイプだからこそ、リラックスしろ』と言われました」と本人は鬼木監督とのやり取りを明かす。
2016年に東京ヴェルディから移籍してきた男はチームの一員として頂点を経験している。その分、過度な重圧を背負いかねないことを指揮官は熟知していたのだろう。
この声かけによって三竿自身、「楽しもう」と割り切って試合に入れたという。
「オニさんと出会って自分はかなり成長できている」
背番号6のこの日のパフォーマンスは目覚ましいものがあった。
鹿島は序盤から相手を押し込み、高い位置まで侵入。三竿がボールを受けてレオ・セアラや荒木に預け、リターンを受けてサイドに展開するような“ボールの出し入れ”を次々と見せる。
複数人の相手にプレッシャーを受けても確実にキープ。1枚はがして前に出るプレーも増え、鬼木監督が求めていた“中盤での構成力”をこの大一番で見事に体現したのである。
「ボールを動かすところ、顔を出し続けるところは、今までの自分にないくらい意識しましたし、試合を重ねるごとにどんどんトライできるプレーも増えている。本当にオニさんと出会って自分はかなり成長できていると思います」
三竿本人もそう手ごたえを口にした。
いいリズムから20分に先制点が生まれる。
知念のボール奪取から荒木、松村とつながり、右サイドを突破。マイナスクロスに荒木が飛び込み、いったんはブロックされたが、粘って中に入れたボールにレオ・セアラが反応。絶対的エースFWが殊勲の一撃をお見舞いしたのだ。
完全に試合を掌握した鹿島。前半はマリノスをシュートゼロに封じ、1−0で後半へと突入した。そして57分に勝利を決定づける2点目が入る。
相手左サイドバック・関富貫太に松村がハイプレスをかけ、知念がカット。ここからレオ・セアラ、濃野公人、松村とボールがつながり、浮き球のクロスを再び背番号9がヘッドで仕留めるという理想的な形だった。
三竿もチームの進化を実感し、こう語る。
「そこの責任感は他の選手より大きいと思います」
「ボールをつなぐ部分にフォーカスはしてましたけど、基本の球際の部分だったり、走る、切り替えの速さという“鹿島らしさ”というのは何よりも大事にしていたところ。
そこを今日の試合もそうですし、勝てた試合では多く出していたんじゃないかなと思います」
その後、マリノスも少しギアを上げてきて、終盤には天野純に1点を返されたものの、最後は植田、三竿らベテランを中心に一丸となって1点を守り切った。
その強固な守備は今季の鹿島における最大のストロング。そこは全員が自信を持っていたに違いない。
約6分間のアディショナルタイムの後、タイムアップの笛。鹿島はマリノスを2−1で下し、ついに悲願だったJ1王者奪還に成功する。
ベンチの鬼木監督らスタッフ歓喜の雄たけびを挙げ、植田や鈴木優磨が涙を流す中、三竿も天を仰ぎ、目を赤くしながら、栄光の瞬間を噛みしめた。
「(植田と鈴木優磨含め)僕らは鹿島を優勝させるために帰ってきていますし、僕らのコンディションやパフォーマンスが勝利に直結すると思っていた。
そこの責任感は他の選手より大きいと思いますし、『タイトルを取る』ことを口だけじゃなくて、実際に取れたっていうのが非常に大きいですね」
そう言って、背番号6は心からの安堵感をにじませた。
実際、彼の鹿島在籍8年間というのは紆余曲折の連続だった。移籍1年目の2016年は前述の通り、チームの一員として優勝を味わったが、試合出場自体は少なかった。



