
2019シーズンの鹿島アントラーズ【写真:Getty Images】
9年ぶり9度目のJ1リーグ制覇を成し遂げた鹿島アントラーズ。近年はタイトルと無縁のシーズンを過ごすことが多かった常勝軍団は、どのようにして強さを取り戻したのか。Jリーグ開幕当時から続く歩みを振り返りながら、かつての黄金期と現在のチームにある共通点、今に繋がる変化などを、長年鹿島を取材し続ける元川悦子氏の言葉から探っていく。今回は第2回(全6回)。(取材・文:元川悦子)[2/2ページ]
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多くの高校生・大学生が「川崎フロンターレに行きたい」と

川崎フロンターレで黄金期を築いた鬼木達監督【写真:Getty Images】
「J1で4位や5位で監督交代がここまで繰り返されるチームは鹿島だけ」という声も関係者から聞こえてきたが、やはりタイトルを取れない指揮官は責任を取らされてしまう。
それが強豪・鹿島の厳しさではあったが、長期ビジョンに基づいたチーム作りを進められなければ、監督としても非常にやりづらい。
誰が赴いても「結果」と「内容」の両方のバランスをうまく取れない…。そんな難しさが2019年以降の6年間からは感じられた。
その結果、鹿島の「常勝軍団」のブランドが薄れ、新加入選手も鹿島を選ばないという状況が起きてしまう。
一方で、現指揮官である鬼木監督が率いた川崎フロンターレは、魅力的な攻撃サッカーを体現し、国内7冠という好結果を残したことで、多くの高校生・大学生が「川崎に行きたい」と言うようになったという。
清水エスパルスの反町康治GMも「我々みたいに近年、J1・J2を行き来しているチームが選手を取りに行くと、だいたいは『フロンターレを第一に考えています』と言ってくる。彼らと競合しないタレントに目をつけて、時間をかけて話をして、入ってもらうように仕向けていくしかない」と話していたが、以前のように鹿島が高校生・大学生のナンバーワンを確実に取れる時代ではなくなったのだ。
その分、アカデミーを強化し、柳沢敦(現トップコーチ)や小笠原、本山らが携わった選手が大きく成長するようにはなってきたが、鹿島はJ発足後の25年間と同じことを続ければ勝てるというわけではなくなった。
その壁を超えるのは、本当に難しいことだった。2016年から丸8年も国内タイトルから遠ざかった鹿島は変革を迫られていたのである。
(取材・文:元川悦子)
(本文中一部敬称略=3に続く)
【著者プロフィール:元川悦子】
1967年、長野県生まれ。94年からサッカー取材に携わり、ワールドカップは94年アメリカ大会から2022年カタール大会まで8回連続で現地に赴いた。「足で稼ぐ取材」がモットーで、日本代表は練習からコンスタントに追っている。著書に『U-22』(小学館)、『黄金世代』(スキージャーナル)、「いじらない育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(NHK出版)、『僕らがサッカーボーイズだった頃』シリーズ(カンゼン)などがある。
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