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“ジェネレーター”と呼ばれた男。ファジアーノ岡山、白井康介が走り続けるワケ「変わらずにずっと体現してきた」【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

ファジアーノ岡山、白井康介
ファジアーノ岡山の白井康介【写真:Getty Images】



 明治安田J1百年構想リーグ第6節が14日に行われ、ファジアーノ岡山は清水エスパルスにPK戦の末敗れた。かつて恩師から“ジェネレーター(発電機)”と名づけられた白井康介は、チームに熱と勢いを生み出す存在として走り続けてきた。岡山で迎えた新たな挑戦のなかで、白井はさらにプレーの幅を広げようとしている。(取材・文:藤江直人)[2/2ページ]
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「残りのサッカー人生を賭けるくらいの気持ちで…」

ファジアーノ岡山、白井康介
ファジアーノ岡山の白井康介【写真:Getty Images】

 いったい何をする役職だったのか。当時の曺監督は「和訳すれば発電機ですよ。発電機」と笑顔を浮かべながら、白井が担ったジェネレーターに込めた意味と狙いとを明かしてくれた。

 サイドを主戦場に前へ、前へと何度も飛び出していく無尽蔵かつ驚異的なスプリント力だけではない。感情を表に出す熱さがチームにポジティブな影響を与える、まさに発電機のような存在を託された。

 曺監督は「ジェネレーターだからこそ、あのサイズでも康介は通用するんです」と身長166cm・体重63kgの小柄な白井へ目を細め、再会するまでの5年半でより具現化された武器を高く評価していた。



 翌2023シーズンには満場一致でジェネレーターに再任された白井へ、こんな檄も飛ばしている。

「そこ(ジェネレーター)に乗っかって他の部分を疎かにするのはよくない。クロスの精度を含めて、得点に絡むプレーの精度はもっと高めなきゃいけないし、いまをベースにどんどん伸びていってほしい」

 京都からFC東京をへて岡山の一員になり、31歳になった白井のなかで、いまもジェネレーターという言葉は励みになっているのか。清水戦後の取材エリアで白井は静かにうなずいている。

「変わらずにずっと体現してきた」

ファジアーノ岡山、白井康介

ファジアーノ岡山の白井康介【写真:Getty Images】

「僕という存在に対して(曺さんが)そういう感覚をもってくれていて、そのような役職に就けてくれた、という思いはあります。それ(ジェネレーター)を特段、変わらずにずっと体現してきたと思っています」

 チームが変わっても「ジェネレーター」という思いが力強く脈打つが、一方でそれだけではない。

 昨シーズンは右膝に怪我を負った夏場以降でほとんど試合に絡めなかった。後半アディショナルタイムにプレーしたアルビレックス新潟とのJ1リーグ戦の最終節が、約4カ月ぶりの試合出場だった。

 オフに入ってサイドアタッカーの補強が急務だった岡山からオファーが届いた。半年間の期限付き移籍が発表されたのは1月元日。FC東京の公式ホームページ上で、白井はこんな決意を綴っている。



「難しい決断でしたが、いつでも自分で考え、決断したことを正解にできるように努めてきました。今回もこの決断が正解となるように、覚悟を持って戦ってきます」

 右膝の怪我は癒えている。ならば何が決断を難しくしていたのか。清水戦後に白井はこう語った。

「FC東京で培ってきたいいものが、すごくいい状態で自分のなかにある。それをFC東京で体現したいという気持ちもありましたし、一方で昨シーズンの後半はなかなか出場機会にも恵まれなかったので」

 いいものとは何なのか。新たなストロングポイントを追い求める白井がさらにこう続けた。

「縦への一辺倒だけでは通用しない」

白井康介

ファジアーノ岡山の白井康介【写真:Getty Images】

「縦への推進力や対人での仕掛け以外にも、中でのプレーであるとか、相手を個の力だけじゃなくてチームとしてうまく剥がすプレーといったものがうまくなっていたと、自分のなかで感じていたので」

 いつまでも縦への一辺倒だけでは通用しない。プレーの幅を広げようとFC東京時代に新たなトライを繰り返し、チームプレーを分断された清水戦でも、苦境を何とか打開しようと試行錯誤していた。

 進化を目指す努力は、京都時代に曺監督から受けた檄でもある。白井はさらにこんな思いも明かした。

「半年の期限付き移籍なので、家族と一緒に(岡山に)来られない、というのもあったので……」



 最愛の家族と離ればなれになる状況も決断を難しくさせた。しかし、覚悟を決めた白井は岡山に欠かせないサイドアタッカーとして、百年構想リーグのピッチでジェネレーターにプラスアルファを融合させている。

 つけたい番号が空いていなかった、という理由で新天地・岡山では「51番」を背負っている。理由は「特にないです」と苦笑したが、おそらくは誕生日である「5月1日」にちなんだものなのだろう。

 実は清水戦後には恐縮しながら、急いで取材エリアを後にしている。家族が観戦に訪れていて、チームバスがスタジアムを出発するまでのわずかな間に会って会話を重ねたかったからだ。

 スプリントを何度でも、精根尽き果てるまで繰り返せるスタミナと真っ赤な情熱をほとばしらせる31歳は、家族への深い愛情も胸中に同居させながら、岡山のタッチライン際で成長を追い求めていく。

(取材・文:藤江直人)

【著者プロフィール:藤江直人】
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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【了】

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