ファジアーノ岡山の阿部海大【写真:Getty Images】
ファジアーノ岡山の最古参である阿部海大には忘れたくても忘れられない試合がある。それは5-0と大敗を喫した、昨年のアウェイ京都サンガF.C.戦だ。今季は前節に初出場と出番がなかなかなかったが、敵地・京都で再戦のチャンスがまわってきた。しかし、結果はまたしても大敗だった。この一戦にかけていた背番号4はこの現実にどう向き合っていくのか。(取材・文:難波拓未)[2/2ページ]
【明治安田J1百年構想リーグ 地域リーグラウンドWEST第10節】
2026年4月11日 京都サンガF.C. 5-1 ファジアーノ岡山(サンガスタジアム by KYOCERA)
“悪夢、再び” 阿部海大はこの現実に何を思うのか

マルコ・トゥーリオとマッチアップするファジアーノ岡山の阿部海大(写真右)【写真:Getty Images】
「(2失点目は)相手のロングスローを弾けなかったし、(2失点目のシーン以外でも)自分たちがクリアできているけど、それが小さかったこともあった。その中で戻る部分やコースを消す部分はもっとチームとして高めないといけない。本当に(前半)終了間際だったので、あれで1点入るのと入らないでは流れが変わっていた。そこはもっと突き詰めていきたい」
木山監督が「勝負を決定的に分けた」という2連続失点で、流れが完全に京都に傾いた。
ハーフタイムを挟んで迎えた後半も粘りきれず、さらに2失点。1-1の時間帯までは昨年と違うところを見せられるかもしれないと希望の光が差し込んだが、結果的には“悪夢、再び”という形になってしまった。
「もう悔しいしかないです。自分たちの流れがなかったわけじゃないし、立ち上がりに1点を取られてしまったけど、取り返したし、その後は自分たちの決定機もあった。その中での前半終了間際の2失点をしてしまった。
前節から続いて、勝負のあやを相手に渡してしまっている。そこはディフェンスの選手として、何がなんでも守らないといけない。チーム全体で『やらせない』という意識は持っていたけど、まだ隙があったと思うし、それがこういう結果として本当に大きく出ているので、もっと突き詰めていかないといけない」と反省を強く口にした。
岡山は守備力をベースに、J1昇格も、J1残留も成し遂げてきた。それが10失点で3連敗。直近2試合では9失点と、堅守が揺らいでいるとしか表現できない状況に陥っている。そこに2年連続で、京都の地で5失点での大敗。またしても大きなショックと悔しさを持ち帰ることになった。
それでも、試合後はサポーターからこの日で最も大きいと感じるほどのファジアーノコールが飛んできた。2018年に東福岡高校から加入して(2023年にブラウブリッツ秋田へ1年間の武者修行を除いて)今年で在籍8年目となる26歳のDFは、その応援を全身で受け止めていた。
「ピッチでしか返せない」悔しい結果を糧に再び前へ進む

またしてもアウェイで京都サンガF.C.に大敗を喫したファジアーノ岡山【写真:Getty Images】
「京都までたくさんのサポーターの方が来てくれていたし、前節にホームで悔しい負けをしていたから、勝利を届けたいという思いは強かったですけど、悔しい結果になって申し訳ないという気持ちが強いし、自分としては不甲斐ないとしか思えない。
(応援への恩は)ピッチでしか返せない。前節と今節に続いた大量失点での負けを全員が刻み込んで、もっと成長するしかない。次の試合でリバウンドメンタリティを見せられるようにやっていきたいです」
今節に回ってきた出番は、自分の現状や未来を変えるための大きなチャンスだったが、チームを勝利に導くDFという理想とは程遠い結果になってしまった。
この試合に懸ける思いが強かったからこそ、その事実に打ちひしがれていても不思議ではない。試合後にミックスゾーン(取材エリア)に向かって足を動かすには、ある程度の時間が必要かもしれない。取材を希望していたため、待つことを覚悟していた。
しかし、最初にミックスゾーンに姿を現した。試合に出た選手の中では、圧倒的に早い。難しい感情を整理しながら、真っ直ぐな瞳で質問に応じてくれた。
今年でチーム最古参となった阿部は、苦しい時も、辛い時も、嬉しい時も、どんな時も、12番目の戦士たちと心を一つに共に戦ってきた。偉大な先輩からバトンを受け継ぎ、年齢を重ねるごとに着実に成長してきた。その歩みは、クラブと親和性が高い。
プロ7年目の2024年には、岡山で初めて主力選手として1シーズンを戦い抜き、J1昇格に貢献できた。だから、チームも個人も国内最高峰で戦える今がある。
インタビューを終えた後、荷物を取りにロッカールームへ戻っていく。その背筋は伸びていて、足取りに重たさはなかった。
(取材・文:難波拓未)
【著者プロフィール:難波拓未】
2000年4月生まれ。岡山県出身。8歳の時に当時JFLのファジアーノ岡山に憧れて応援するようになり、高校3年生の夏からサッカーメディアの仕事を志す中、大学在学中の2022年からファジアーノ岡山の取材と撮影を開始。2024年からは同クラブの公式マッチデープログラムを担当し、現在は様々な媒体にも取材記事を寄稿している。メディア人として東京での2年間の育成型期限付きを経て、2026年から地元・岡山でフリーランスとして活動。モットーは、「魂を込めて、クラブや選手の魅力を伝える」こと。
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