
セレッソ大阪の中島元彦【写真:Getty Images】
4月18日、27歳の誕生日を迎えたセレッソ大阪の背番号「13」中島元彦。同日の京都サンガF.C.戦の後半アディショナルタイムには、バースデーゴールを奪うチャンスがやってくるが、叶わず。試合後には、このプレーの裏話と後悔を語っていた。かつてのセレッソ大阪に憧れてプロを目指したアタッカーは、次世代の子供たちの憧れになろうとしている。(取材・文:藤江直人)[2/2ページ]
かつてののセレッソ大阪に憧れてプロを目指した中島元彦

中島元彦が憧れた2010年のセレッソ大阪【写真:Getty Images】
「『この遠征はハナサカクラブのおかげなんやで』と大人の方々からよく言われました。遠征先ではハナサカクラブに感謝するビデオを撮っていたんですけど、正直、それが何のためなのかがわからなくて」
大人になったいまならよくわかる。
たとえば約3シーズンにわたって期限付き移籍し、一時は完全移籍への移行も考えたJ2のベガルタ仙台から復帰した2024年の年末。中島はこんな決意を綴っている。
「ハナサカクラブに恩返しするため、成長した姿を見せるために帰ってきました」
大阪市東淀川区で生まれ育った中島は、2008年に小学生年代のセレッソ大阪U-12に加入した。
「当時はJ2で戦ったシーズンを含めてゴールを本当によく決めていたし、めちゃくちゃ強かった。そうしたなかで、セレッソの試合をスタジアムへ見にいこう、という気持ちにもさせてくれました」
J2で2位に入り、J1への復帰を決めた2009シーズン。年間51試合を戦った当時のリーグ戦でセレッソの総得点は100に到達。27ゴールの香川、20ゴールの乾貴士の2人で実に半分近くを占めた。
7月に香川がボルシア・ドルトムントへ移籍した翌2010シーズンは、乾やガンバから期限付き移籍で加入した家長昭博、同じく大分トリニータから完全移籍で加入した清武弘嗣が3シャドーを形成していた。
後半戦のJ1戦線を席巻したセレッソは、クラブ史上で最高位の3位でフィニッシュする快進撃を演じた。
当時のセレッソのサッカーを「イケイケ、ゴーゴーといったイメージがありましたよね」と懐かしそうに笑った中島は、個性あふれる攻撃陣を通して将来はセレッソでプロになる夢を描いたと振り返る。
「僕もその一人でしたけど、やはりうまい選手に小さな子どもたちは目がいきがちなので」
熟成途中の令和版の3シャドー「もっとアイデアを共有していけば」

京都サンガF.C.で喜ぶセレッソ大阪の選手たち【写真:Getty Images】
ハナサカでの初陣となった京都戦でも、くしくも2010シーズンと同じ[4-2-3-1]システムのもとで、左の本間至恩、トップ下の中島、右の柴山昌也で形成される3シャドーが躍動した。
身長161cmのレフティー柴山は、18分のFWチアゴ・アンドラーデの先制弾をアシスト。同じく164cmの本間は66分に群を抜くスピードを駆使して、昨年4月に加入したセレッソでの初ゴールを決めた。
だからこそ自分もゴールで続いて3人で共演したい、という思いも頭をもたげていたのだろう。
「技術のある選手たちなので、彼らがボールをもったときはある程度任せて、彼らを信用して走るのも大事かなと。もっとアイデアを共有していけば、もっともっといいサッカーを作っていけるはずなので」
令和版の3シャドーはまだ熟成途中だと強調した中島は、さらにこんな言葉を紡いでいる。
伝統の背番号「8」に似合う存在へ

セレッソ大阪の背番号「8」【写真:Getty Images】
「そうなれば子どもたちにもっと楽しいと思ってもらえるようになる。そういうサッカーを次は自分たちが作りあげていく番だし、そのなかでうまいと思っても見てらえる一人目になりたいですよね」
今シーズンのセレッソには中島以外のアカデミーの出身選手として、試合を重ねるごとに存在感を増している20歳の逸材・石渡、同じくボランチでプレーする喜田陽ら総勢6人が登録されている。
国内外の他チームではV・ファーレン長崎のキャプテンを務める山口蛍、ヴィッセル神戸の扇原貴宏、そしてフランス・リーグアンのモナコに所属する南野拓実らもセレッソのアカデミーで育った。
復帰1年目の昨シーズンは出場36試合、プレータイム2282分、5ゴールといずれもJ1における自己ベストの数字を残した。
しかし、セレッソをタイトルに導けなかった思いが中島を決して満足させない。
復帰時に再び託された「13」は、かつて清武、柿谷曜一朗氏、南野が背負った出世ナンバー。セレッソのアカデミーの過去といま現在、そして未来をつなぐ自覚を込めて中島はこんな言葉も紡いでいる。
「これからも、セレッソの未来のためにも戦っていきたい。そして大きな可能性を秘める子どもたちのなかから、スーパースターと呼ばれるような選手が出てきてくれたらうれしいですね」
セレッソ伝統のエースナンバーの「8」を、近い将来に胸を張って香川から継承したい。
思い描く夢をかなえるためにも、中島はハナサカクラブへの恩返しにもなる結果だけを貪欲に追い求めていく。
(取材・文:藤江直人)
【著者プロフィール:藤江直人】
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。
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