
ファジアーノ岡山の西川潤【写真:Getty Images】
歓声に包まれて踏み出したファジアーノ岡山での第一歩。西川潤の出場はわずか5分。それでも決定機に絡んだ動きと判断は際立っていた。決め切れなかった悔しさを抱えつつ、確かな手応えとともに次へつながるスタートを切っている。(取材・文:藤江直人)[2/2ページ]
「来た、と…」

PK戦で敗戦を喫したファジアーノ岡山【写真:Getty Images】
「大地くん(田上)が走っていったのが見えたので、自分も一直線の感じで走っていきました」
対峙したガンバの選手は三浦弦太、中谷進之介しかいない。そしてポポの左側を駆けあがった西川は、相手のペナルティーエリアが見えてきたあたりで、ポポの前方を横切って右サイドへやや膨らんだ。
次の瞬間、ポポは相手を引きつけながら左サイドへパス。ボールを受けた田上は勢いそのままにペナルティーエリア内の左側へ侵入し、利き足とは逆の左足でグラウンダーのラストパスを通した。
フリーで反応したのは右へ膨らんでいた西川。利き足の左足を合わせるうえで絶好のシチュエーションを、西川自身も「来た、と思いました」と勝ち越しゴールをほぼ確信したと明かしている。
しかし、左足をワンタッチさせたシュートはクロスバーの上を大きく越えてしまった。
次の瞬間、ポポと田上は思わず頭を抱え、木山監督にいたってはベンチ前のテクニカルエリアでひっくり返ってしまった。その場に仰向けになった西川は、両手で顔を覆いながら何を思っていたのか。
「もうちょっと抑えて打てば…」

敗戦後、ピッチに整列するファジアーノ岡山の選手たち【写真:Getty Images】
「決めきれなかったことへの悔しさです。ランニングしていた間は特に考え事はしていませんでしたけど、最後のシュートをふかしちゃったので。もうちょっと抑えて打てばよかった、と」
直後に後半の終了とPK戦への突入を告げる須谷雄三主審のホイッスルが鳴り響いた。
すぐに駆け寄り、肩をポンポンと叩いた立田悠悟から「切り替えて、前を向いていこう」と励まされた西川が任されたのは8番手。しかし、PK戦では5人全員が成功させたガンバに3-5で屈した。
昨年11月23日の藤枝MYFC戦の開始10分に、右足を痛めて交代を余儀なくされた。診断の結果は右ハムストリング損傷。全治12週間の重傷で、岡山へ加わった後もなかなか回復しなかった。
「キャンプでもなかなかプレーできなかったし、リハビリも予定より少し時間がかかってしまった」
ここまでの苦闘ぶりを木山監督がこう振り返れば、西川本人もこんな言葉を紡いでいる。
「怪我はもう大丈夫です。再発を含めていろいろとありましたけど、それらをひとつずつ乗り越えてようやく試合に出られた。そこはひとつポジティブにとらえながら、またいい準備をしていきたい」
百年構想リーグを折り返しても岡山でデビューできない。悶々とした状況へ思わず苛立ってしまう本音と、無理だけは絶対に禁物だと必死に自らに言い聞かせてきた狭間で揺れた日々を西川はこう語る。
「もちろん常に岡山の試合を見ていましたし、自分が成長するための時間にあてていました」
画竜点睛を欠いてしまった西川へ、それでも木山監督は今後の活躍に期待を寄せた。
「見た目よりもけっこう…」

ファジアーノ岡山の木山隆之監督【写真:Getty Images】
「最後のシュートを決めてくれたらよかったけど、プレーの質の高さやサッカーIQの高さを感じるし、見た目よりもけっこうガツガツといく。そういう選手になっていってほしいと思っています」
カウンターの最後にポポの前方を左から右へ横切り、左足でシュートを放ちやすい体勢と角度に持っていったあたりがサッカーIQの高さの一端となるのだろう。ラストパスを送った田上もエールを送った。
「試合後に『決めろよ』みたいな話はしました。もちろん冗談で、怪我明けからあまり時間がたっていない状況でのデビューだったし、彼がもっている素晴らしいものを徐々に出してチームに貢献してほしい」
西川本人も敵地で送られた岡山のファン・サポーターの大声援を受けてしっかりと前を向いた。
「歓声は届いていましたし、その意味でも最後、自分が決め切ってもっと喜ばせてあげたかった。半年間のイレギュラーなシーズンですけど、出遅れた分、まずはしっかりと自分のよさを出していきたい」
待ち焦がれた岡山での初陣は公式記録上でプレー時間5分、シュート1本で終わった。2月に24歳となり、若手から中堅へと差しかかった西川は、自身と周囲とを納得させる結果だけを貪欲に追い求めていく。
(取材・文:藤江直人)
【著者プロフィール:藤江直人】
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後の1989年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。
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