2026年1月、2025シーズン限りでの現役引退を表明した中田永一【写真:Getty Images】
明治安田Jリーグ百年構想リーグが閉幕し、各クラブの2026/27シーズンへ向けたチーム編成が本格化している。新たな契約を勝ち取る選手がいる一方で、現役生活に区切りをつける選手もいる。2025シーズン限りで高知ユナイテッドSCを退団し、スパイクを脱いだ中田永一もその一人だ。引退寸前からJリーガーとなり、新たな人生へ踏み出した男は、自らのサッカー人生をどう振り返り、第二の人生を歩もうとしているのか。(取材・文:椎葉洋平)[1/2ページ]
「これで昇格できなかったらもうやめよう」

高知ユナイテッドSCでプレーする中田永一【写真:Getty Images】
2022年から4年間所属した高知ユナイテッドSCでJ3参入に大きく貢献した中田永一。そのサッカー人生は決して順風満帆なものではなかった。
Jリーガーになる約3年前の2021年12月、中田はサッカーをやめる寸前だった。
当時は東海社会人リーグ一部、FC.ISE-SHIMA(FC伊勢志摩)に所属。全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(CL)決勝ラウンドで2位に入り、主力として日本フットボールリーグ(JFL)下位チームとの入れ替え戦に挑んだ。
「これで昇格できなかったらもうやめよう」という覚悟を内に秘め、JFL昇格の懸かる一戦にセンターバック(CB)として出場した。
結果は2-3の敗戦。中田は1点差に迫るゴールを挙げたものの、昇格は叶わなかった。自然と涙が溢れてくる。サッカー人生が終わる、そんな思いがよぎった。
同時期、中田が知らないところで水面下の動きがあった。福岡大学時代の同級生で、高知ユナイテッドSC(当時JFL)に所属していたDF下堂竜聖がヴァンラーレ八戸へ移籍。それを受けて、高知はCBの補強を画策し、中田に白羽の矢が立った。
翌2022シーズンから福岡大学出身の吉本岳史氏の監督就任が決まっていたことも後押しした。引退発表のタイミングを窺う最中に届いた「やめるならうちに来いよ」という誘い。急遽、カテゴリーを上げ、JFLでプレーすることとなった。
FC.ISE-SHIMA時代にも、当時JFLの奈良クラブやFC大阪などと練習試合の経験はあった。通用する自信はある。目標としていた舞台に、心も燃えている。
だが、いざチームの練習に加わると驚かされた。地域リーグとはすべてが違った。
Jリーグの一歩手前であるJFLで戦う中、気付いたこと
J3・JFL入れ替え戦 第1戦に臨んだ高知ユナイテッドSC。上段左から3番目が中田永一【写真:Getty Images】
「チームに入って練習や練習試合をしてみると、強度がまるで違いました。1番はスピード感。入団当初はすべて全力疾走しないと間に合わない感覚があって、それを続けていたら90分間の試合で70分ぐらいには足を攣っていました」
これがカテゴリーのギャップか。悩む時間はしばらく続いたが、中田のプレーを分析したスタッフのアドバイスが意識に変化を与える。
「すべてに全力を出し過ぎだよ。力が入りすぎているから、もっと抜いていいよ」
あえて一つひとつのプレーを全力でやらないように意識した。同時に毎日20~30分のジョギングという有酸素運動を継続していくと、いつしか足は攣らなくなっていた。
Jリーグの一歩手前であるJFLで戦うなか、気付いたことがある。
プロに必要なスキルが10あるとして、足りているのはロングキックとコーチングだけ。スピードも持久力もサッカーIQも低い。
それからは仕事とチームの練習に加え、自主練とサッカーIQを高めて足りない部分を補った。試合で何が良かったか、悪かったかを分析し、監督が求めることと自分がやるべきことを頭の中で擦り合わせていった。
「毎日本当に時間がなくて、でも、それが楽しかった。次の練習でこうしよう、練習試合でこうしようと考えているのが楽しくて仕方なかったんです。例えば、チームにJ1のチームから選手が来たら『こいつより試合に出たらJ1だ』という感覚で毎日練習をして、そうやってスタメンを奪っていきました」
安定した守備と左足から放たれるロングフィードを強みに、JFLでも主力を担っていく。高知3年目の2024シーズン、チームは好調をキープ。JFLで2位となり、平均観客動員数2,000人以上というJ3参入への壁も越え、J3・19位のY.S.C.C.横浜との入れ替え戦を迎えた。
「夢ってこんな感じで手元に来るんだな」

J3・JFL入れ替え戦 第2戦、2-0で勝利した高知ユナイテッドSCは2戦合計3-1とし、悲願のJリーグ入会を実現した【写真:Getty Images】
ホーム&アウェイで開催された2試合に、中田はともにフル出場。1勝1分と上回り、悲願のJ3参入を決めた。
人生の目標の1つだった「Jリーガー」。そこに手が届いた瞬間だった。
「夢ってこんな感じで手元に来るんだな」
どこか不思議な感覚が頭をよぎった。
同時に、生活できるだけの収入を得られる「プロサッカー選手」という環境も手にした。
ただ、大学を卒業して以降、仕事とサッカーの並行という生活スタイルが常。それはいつしか当然のものとなっていた。地域リーグでは1日8時間の仕事とサッカー。カテゴリーを上げるにつれ、労働時間は短くなっていたが、完全に仕事をやめることには抵抗があった。
「(J3では)1日3~4時間ぐらいだったので負担はなくて。むしろ筋トレとかにも時間を使え、何不自由なくプレーさせてもらいました」
ついに迎えた初のJ3。しかし、アピールの機会を得られないまま時が過ぎ、クラブのドタバタもあって出場機会が訪れたのはリーグ終盤戦になってから。
第29節・ギラヴァンツ北九州戦で途中出場して、Jデビューを飾ると、第34節・AC長野パルセイロ戦ではスタメン出場し、完封勝利に貢献した。
最終的に5試合に出場。一時は契約更新の話もあったが退団となった。同時に、現役引退を決意した。
「Jリーグはすごく楽しくて、もっとサッカーをやりたいとも思ったんですけど、30歳になるので、次のビジョンのことも考えました」
サッカー人生に後悔はない。自分は上手い選手ではなかった。道半ばでは自分自身に対し半信半疑なときもあった。そんな選手がプロになれたのだから。