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「一番困難なときに力を発揮される」青山敏弘が語る日本代表、森保一監督の揺るがぬ哲学とは【コラム後編】

シリーズ:コラム text by 竹中愛美 photo by Getty Images
サッカー日本代表 青山敏弘と森保一監督

日本代表時代に共闘した青山敏弘と森保一監督【写真:Getty Images】



 FIFAワールドカップ2026(北中米W杯)で、日本代表はオランダ代表と2-2で引き分け、貴重な勝ち点1を手にした。2018年、森保一監督が日本代表監督に就任した際、新体制の主将を託されたのが、ブラジルW杯にも出場した青山敏弘だ。二人が代表でともに戦った時間は決して長くない。それでも青山の言葉からは、森保監督が貫いてきた哲学と、日本代表に求め続けてきたものが見えてきた。(取材・文:竹中愛美)[1/2ページ]

【単独インタビュー/取材日:6月12日】 

夢の舞台で知ったW杯の本当の意味

2014年ブラジルW杯 コロンビア戦でプレーする 日本代表 青山敏弘

2014年のブラジルW杯でコロンビア代表を相手にプレーする青山敏弘【写真:Getty Images】


 青山敏弘にとってワールドカップは、サッカー人生の中でも大きな意味を持つものだった。

 2014年のブラジルW杯。長年追い続けてきた舞台に初めて立った瞬間、その夢は現実となった。

「ブラジル(W杯)は本当に夢が叶ったというか。自分にとってW杯は大きな夢、憧れみたいな、それが叶った大会だったんですね」

 その夢に描いた舞台で、日本はコートジボワール、ギリシャ、コロンビアと同組に入り、1勝もできずに予選敗退を喫した。青山自身、初めてのW杯で出場したコロンビア戦では途中交代に終わり、満足のいくプレーはできなかった。

 実際に世界最高峰の舞台を経験したことで、新たな感情も芽生えた。

「やっぱりそれだけじゃダメだったなって。夢を叶えるためにやる場所じゃないんだなって」

 世界と対峙し、自らもピッチに立ったからこそ見えた景色があった。W杯は出場することがゴールではない。勝つために戦う場所だったと。

「初めて(W杯に)出させてもらって、その先、勝つために出るのがW杯なんだなって思ったのがブラジル(W杯)なんです」

 その先を目指したのが、次のロシアW杯だった。最終候補メンバーまで残りながらも、本大会直前に右膝の負傷で無念の辞退を余儀なくされた。

「日本が勝つために僕もやっていたし、選手みんなもそうだった。国を背負って戦う本気の舞台なので、そこにいれるのはすごく誇りですし、W杯で勝つところに本当は僕もいたかった。そこに立つってすごいことだなって」

 その言葉からは、W杯という舞台に懸けていた強い思いが伝わってきた。世界最高峰の舞台で国を背負う誇り。その舞台に立つことの重みを感じていたからこそ、余計にである。

日本代表で再会した“恩師”

サッカー日本代表 青山敏弘と森保一監督 森保監督初陣でキャプテンを託された青山

森保一監督の初陣でキャプテンを任された青山敏弘【写真:Getty Images】


 2018年8月、森保一監督が日本代表監督に就任した。

 その新体制初陣に招集された一人が青山だった。

 サンフレッチェ広島で黄金期を築いた恩師との再会。意外にも青山の心境としてはそこまで「変わらなかった」と振り返る。

「もちろん、一緒に戦えることが嬉しかった」

 2012年からサンフレッチェ広島の監督に就任した森保監督は、1年目からJ1リーグ初制覇。翌2013年に連覇し、2015年には3度目の頂点に立った。

 だが、2017年には成績不振を受けて、森保監督は解任となる。理想的な形で別れを迎えられたわけではなかった。

「良い別れができなかった。もう本当に挨拶もできずに離れたので。僕はその続きがあると思っていたので、楽しみでした。それが日本代表という場所であったことは、すごくうれしかったし、誇らしかった」

 森保監督はチームコンセプトを何よりも大切にする指導者だ。青山は、その考え方を最も理解している選手の一人だった。

 新たな代表チームを作るうえで自分に求められる役割も理解していた。もっとも、森保監督は情では選ばない。

「勝つために必要なことを積み重ねていかれる方なので、自分が必要と思ってくださったのですごくうれしかったです」

 森保ジャパン初陣となった2018年9月のコスタリカ戦。青山はキャプテンマークを巻いた。

託された主将、求めたのは“勝利”

サッカー日本代表 青山敏弘 2019年1月17日
Japan v Uzbekistan - AFC Asian Cup Group F

2019年のAFCアジアカップでもキャプテンとしてチームの勝利に貢献した青山敏弘【写真:Getty Images】


 広島時代からの厚い信頼関係を考えれば特別な抜擢にも見えるが、本人は意外なほど冷静だった。

「自分の中では特別なことはなかったですね。クラブでもキャプテンをやらせていただきましたし、森保監督との信頼はやっぱり自分が1番あると思ったので」

 広島でも主将を務めていた。年齢的にもチームを支える立場だった。至極自然だったと言えば自然な流れだったのかもしれない。自分が何を言うべきか、するべきか、理解していたからだ。

 そして、代表活動のなかで意識していたことは、極めてシンプルだった。

「勝つことだけですね。とにかく勝つ、勝たなきゃ自分もその場にいれないと思ったし、森保さん自身も」

 試合に出るか出ないかではない。どんな立場でも勝利に貢献する。それだけだった。代表は結果が全ての世界だ。

 青山は、自らの姿勢で勝利への執着を周囲へ伝染させようとしていた。

「勝ちしか評価されないので。自分が出るときは、やっぱり負けたくなかったですね」

 森保監督が選手たちへ求めるものは何か。青山の答えは明快だった。

「よく言われていましたね。チーム一丸でとか、がむしゃらとか、ひたむきって」

 派手な言葉ではないが、それこそが森保監督の原点でもある。

「日本人らしさじゃないですけど、チームで勝つこと。まさにチーム力というところにすごくこだわっていた」

 欧州のビッグクラブで活躍するスター選手であろうと、その考え方は変わらない。

「どんなすごい選手だろうが、代表で、クラブチームで。そこはブレなかったですよね。そのブレなさが、やっぱり1番魅力なんじゃないかなと思うんです」

 青山が語る森保監督の凄さは、何なのか。

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