日本サッカー協会(JFA)は17日、サンフレッチェ広島の前身である東洋工業蹴球部で選手・監督を務め、同クラブのアドバイザー・参与を歴任した下村幸男氏の訃報を受け、田嶋幸三名誉会長と川淵三郎相談役のコメントを発表した。
田嶋幸三名誉会長、川淵三郎相談役が追悼
日本サッカー協会(JFA)は17日、サンフレッチェ広島の前身である東洋工業蹴球部で選手・監督を務め、同クラブのアドバイザー・参与を歴任した下村幸男氏の訃報を受け、田嶋幸三名誉会長と川淵三郎相談役のコメントを発表した。
下村氏は広島市出身。現役時代はゴールキーパーとして1956年メルボルンオリンピックに出場するなど、日本代表として活躍した。その後、東洋工業蹴球部の監督として日本サッカーリーグ(JSL)で前人未到の4連覇を達成した。
サンフレッチェ広島創設後は、アドバイザーや参与としてクラブの基盤構築や地域スポーツ文化の発展にも尽力した。
JFAが発表したコメントは次の通り。
■田嶋幸三名誉会長
「下村さんのご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。
私が日本代表に初めて選出されたのは大学4年生の時でした。教育実習中だった私を検見川の合宿所で遅くなるまで待っていてくださり、熱心に指導してくださいました。
下村さんとの出会いがなければ私は教員になり、今とは全く違った人生を歩んでいたことでしょう。
後に日本サッカー協会(JFA)の技術委員として指導者養成に携わりましたが、下村さんという素晴らしい指導者との出会いがあったからこそ、指導者養成においても選手育成においても『人を育てる』ことを基本に取り組むことができました。
下村さんの教えと、多くの先輩方が築いてこられた基盤があったからこそ、今日の日本サッカーの発展があります。
ご生前のご厚情に深く感謝申し上げますとともに、安らかにご永眠されますよう心よりお祈りいたします」
■川淵三郎相談役
「天寿を全うされたとはいえ、大好きな先輩を失った悲しみは計り知れません。謹んで哀悼の意を表します。
下村さんは、日本サッカーリーグ(JSL)が創設された1965年に東洋工業の監督に就任され、JSL初年度から4連覇という偉業を成し遂げられました。しかし、そのような輝かしい実績を残されながらも、決して驕ることなく、威張ることもなく、常に謙虚で誠実な方でした。
1977年に下村さんがJSLの総務主事に就任された際、『実行委員になってほしい』と声をかけていただきました。尊敬する先輩からのお願いとあればお断りするわけにはいかないと引き受けました。
1979年には、今度は僕が強化委員会として下村さんに代表監督をお願いし、引き受けていただきました。初陣となった第7回日韓定期戦で勝利し、続くフィオレンティナ(イタリア)戦では引き分けるなど、短い期間ながら日本代表監督としての手腕を発揮されました。
素晴らしい指導者でした。日本サッカーへの多大なる貢献に心から感謝の意を表します。安らかにお眠りください」
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【了】

