
リーグ5試合ぶりに出場を果たした浦和レッズの工藤孝太【写真:Getty Images】
偶然が重なった先に、古巣との再会が待っていた。3年半の期限付き移籍を経て、この夏に浦和レッズへ復帰した工藤孝太。リーグ5試合ぶりにメンバー入りしたファジアーノ岡山戦で、前半15分に突然出番が巡ってきた。相手は、J1初出場を果たし、自身を大きく成長させてくれたクラブ。「何か縁があるんじゃないか」。浦和を離れていた時間に何を身につけ、何が変わったのか。古巣との一戦から、22歳の現在地を見つめる。(取材・文:菊地正典)
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【2026/27明治安田J1リーグ第7節】
2026年9月13日 浦和レッズ 1-2 ファジアーノ岡山
(埼玉スタジアム2002)
5試合ぶりのメンバー入り。相手は“古巣”岡山

2025年から1年半ファジアーノ岡山に在籍した工藤孝太【写真:Getty Images】
理屈で説明できないことが起きるのが、サッカーの面白さかもしれない。
9月13日に埼玉スタジアムで行われたファジアーノ岡山戦でそんな体験をしたのは、浦和レッズの工藤孝太だった。
「試合から離れていた中で、このタイミングでベンチに入って、アクシデントによるものではありましたけど、出場したことには何か縁があるんじゃないか」
3年半の期限付き移籍を経て、この夏に浦和に復帰した工藤にとって、岡山は2025年からJ1百年構想リーグ終了までの1年半を過ごした“古巣”である。
しかも、ただ過去にプレーしていたというだけではない。
浦和では2種登録だった2021年にルヴァンカップ1試合に出場したのち、2023年にJ2の藤枝MYFC、2024年にJ3のギラヴァンツ北九州で武者修行を積み、初めてJ1のピッチに立ったのが岡山でプレーしていた2025年だった。
クラブ史上初のJ1に挑み、残留を目指すチームにおいて、工藤は2025年に25試合、J1百年構想リーグで8試合に出場。そのうち、2025年は21試合、J1百年構想リーグは8試合すべてに先発した。
そんな経験を経て、工藤は4年前とはまるで別人のようになった。
「やれるようになった」武者修行を経た工藤孝太の変化

浦和レッズ 工藤孝太【写真:Getty Images】
2022年に浦和ユースからトップチームに昇格した工藤は、対人守備の強さや左足のキック精度にポテンシャルを感じさせる一方、黙々と自身のプレーに打ち込むタイプだった。
18歳のルーキーだったのだから無理もないが、前年に明るくチームを盛り上げていた槙野智章(現・藤枝監督)や宇賀神友弥(現・浦和U-21チーム強化担当)、キャプテンの阿部勇樹(現・浦和ユース監督)が去り、いくらか静かになったチームにおいて、率先して声を出すタイプではなかった。
ところがいまは、選手、コーチングスタッフを問わず、四方八方から活気のある声が飛ぶ今季の浦和の練習においても、ひときわ大きな声を出せる選手だ。
ハイラインでプレスを掛けていく味方に後方から指示を送り、時に怒号のような叱咤もする。
周囲から見ても明らかなその成長について、工藤自身はこう話している。
「3年半外に出てプレーして、やれるようになったと感じる部分がいろいろあります。それを出しながら、自分がどうすれば楽に守れるかということもいろいろトライしてきたので、そこは本当に変わった部分だと思います。
自分の考えも持てるようになりましたし、それを周りに伝えられるようにもなってきました。自分が守りやすい形やポジショニングを理解しているからこそ、周りをどう動かせばいいのかも分かるようになってきました」
さらに、時に発する怒号についても、明確な理由がある。
「いまの浦和のサッカーでは、一人が剥がされるとチーム全体のバランスが崩れてしまいます。やるべきことができていない選手には言わないといけないですし、言う以上は自分自身もやらなければいけません。チームが上に行くため、強くなるためには、お互いに求め合うことが大事だと思います」
プレシーズンからそんな変化や成長を見せ、第1節のガンバ大阪戦、第2節のサンフレッチェ広島戦と開幕から2試合続けてフル出場していた工藤だが、第3節以降はメンバーにも入れなくなった。
悔しさの中で見えた、変わらないもの

浦和レッズ 工藤孝太【写真:Getty Images】
それでも岡山戦でリーグ5試合ぶりにメンバー入りすると、前半の15分に急きょ出番が回ってくる。右サイドバックでスタメン出場していたダニーロ・ボザが負傷し、プレー続行不可能となったからだ。
ベンチには右サイドバックを本職とする新戦力、山根視来もいたが、曺貴裁監督はまず工藤をピッチに送った。
岡山戦後、クラブからは、チーム内に複数の体調不良者が発生していることが発表されたが、もしすべての選手が試合に出られるコンディションだったら、工藤はそもそもメンバーにも入れていなかったかもしれない。
そんな偶然が重なり、工藤は現在のホーム、埼玉スタジアムでつい2カ月前まで仲間だった選手たちと対峙することになる。
メンバー紹介のときもそうだったように、ピッチに入る瞬間には浦和のファン・サポーターだけではなく、遠方から駆けつけた岡山のファン・サポーターからも拍手が送られた。
「緊急で入ったので、準備する時間はいつもより少なかったです。ただ、(ボザが)出場を続けるのが難しいかもしれないとなったときは、僕かなと思っていました。なので、気持ちの面ではそこまで焦ることなく入れたと思います。
自分が開幕から2試合出て、大量失点をして負けてしまって、その後自分がいない中で3連勝をしたので、もちろん悔しい気持ちもありましたし、僕が出て自分が勝利に貢献したいという強い気持ちは常に持ち続けていました」
その思いをぶつけるべく、全力でプレーした。工藤からポジションを奪う形で、この4試合スタメン出場を続けている根本健太と並び、両センターバックが左利きという珍しい組み合わせで奮闘した。
しかし、チームは工藤がピッチに入った3分後に失点を喫し、南野遥海のスーパーゴールで一度は追いついたものの、90+11分に決勝点を許し、勝ち点を失った。
「僕が出て、結果として負けているので、責任を感じていますし、悔しい気持ちが強いです。自分としても足りない部分が今日の試合で多く見つかったので、そこはもっと良くなるように、自分自身に目を向けて頑張っていきたいと思います」
この3年半で別人のように成長した工藤だが、変わらないこともある。それは、どんなときでもピンと伸びた背筋と、質問に答える際に記者の目を真っ直ぐに見る眼差しの強さだ。
工藤にとって悔しい結果だったに違いない。それでも、岡山で過ごした日々と同じように、岡山と初めて対戦したこの試合を糧に成長するのではないか。
あの強い眼差しを見ていると、そう思わずにはいられないのだ。
(取材・文:菊地正典)
【著者プロフィール:菊地正典】
福島県出身。埼玉大学卒業後、当時、日本最大級だったサッカーモバイルサイトの編集・ライターを経て、フリーランスに。主にサッカー専門新聞『EL GOLAZO』の記者として活動し、横浜FC、浦和レッズ、ジェフユナイテッド市原・千葉、横浜F・マリノス、川崎フロンターレの担当記者を歴任。著書に『浦和レッズ変革の四年 〜サッカー新聞エルゴラッソ浦和番記者が見たミシャレッズの1442日〜』(スクワッド)、『トリコロール新時代』(スクワッド、三栄書房)がある。Xのユーザー名は@masanorikikuchi
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