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小社主催の「サッカー本大賞」では、4名の選考委員がその年に発売されたサッカー関連書(漫画をのぞく)を対象に受賞作品を選定。選考委員の一人でもあるフランス文化研究者、作家、文芸批評家の陣野俊史氏にサッカーにまつわるあれやこれやに思いを巡らせてもらう連載「ゲームの外側」第10回は、PSG公式YouTubeにもあがったある曲について巡らせます。
(文:陣野俊史)
「パリはマジック」「パリはマジック」

【写真:Getty Images】
こんにちは。前回、PSGのチャンピオンズリーグ初優勝を目撃して原稿を書いてからおおよそ1カ月。
なんだかその余波がジワジワと押し寄せてきている感じだが、みなさんはどうだろう。
というか、まあ、この年のパリ・サンジェルマンは強かった、という結論でさっさと片づけてしまいたいのだが、そうもいかない事態が起こっているので、ちょっと書いてみようかと思う。
あまり日本のリスナーには聞き覚えのない名前かもしれないが、フランスの人気ラッパーにBoobaという人がいる。
まあ、どちらかというとハードコアというか、世間一般の人がラップとかラッパーとかに対して抱く平均的なイメージをそのままなぞってしまったような人で、他のラッパーと揉め事を起こしたことも数回。
シャルル・ドゴール空港の売店であんまり仲のよくないラッパーとすれちがった際に、よせばいいのに胸倉を掴み合い、両者ともに警察に連行されたり、とかそんなことも若い頃はあったのだ。そう記憶している。
そのBoobaだが、ある曲を歌っている。ラップしている。その曲というのが、Ici, c’est Parisという。ちゃんと書くと、Ici, c’est Paris, Booba feat Blessd
参照元:YouTube
6月20日くらいにYouTubeにアップされて月末には38万回くらい再生されている。
この「38万」という数字が多いのか少ないのか、私にはわからないが、アップしているのがPSGの公式サイトであることから考えて、そう少ない数字というわけでもないのだろう。
実際、Booba独特のゆったりしたフロウが耳にする者を中毒者に仕立て上げてしまうほど、不思議な魅力をたたえた楽曲。
その曲を聴いていて、何じゃ? と気になった箇所があったのだが、それはちょっと置いておいて、このタイトル、Ici, c’est Parisについてもちょっと書いておくと、PSGの試合を観にパリのパルク・デ・プランスへ行くと、場内に響き渡るマイクでこの文章の「練習」を強要される。
「Ici]は「イシィ」と読むが、「ここは~」という意味。
「c’est Paris」は「セ・パリ」で、「それはパリ!」というニュアンスだ。
で、場内の拡声器みたいなマイクで「イシィ」というと、「セ・パリ」と観衆みんなで返す、という応援形式。
そう、つまり、この「イシィ・セ・パリ」というのはあらかじめみんなで声を合わせる練習になっている決めセリフというわけ。
「イシィ」「セパリ」、「イシィ」「セパリ」……。
だんだん洗脳されていくのがわかる。まあ、それもいいだろう。
というわけでPSGのサポーターには有名な決めセリフが歌のタイトルになっているわけだが、問題は中身。
「パリはマジック」「パリはマジック」というセリフがずっと続いたあと、こんなリリックが続く。
フランス語と日本語を併記してみよう……。
J’ai ouvert la bijouterie(俺は宝石店を開けた)
Dans la voiture bélier(猛スピードの車で)
Je suis avec Hakimi(ハキムと一緒だ)
Désiré, Dembélé(デジレやデンベレとも一緒にいる)
Le ballon d’or c’est pour moi(バロンドールは俺のためにある)
Je veux pas la Coupe du Roi(王様のカップなんかほしくない)
あれ、ちょっと変だな、と思う。動画を観てほしいが、このあたり、本当にデンベレやハキムが出演している。
さすが公式サイトにアップされている曲だ! でも「王様のカップ」って? なんのこと? フランスは共和制のはずなのだが……。
と、はたと膝を打つ。
「王様のカップ」って「国王杯」のことじゃないのか? 「国王杯」つまり、スペインのことを歌っているんだろうな、たぶん。
歌はこう続く。
Il a trahi la honda
Pour de la tortilla
Quelle erreur, quelle erreur
やつはファミリーを裏切った(hondaは「家族」の意味)、トルティーヤのために、と。
なんて間違いだ、なんて間違いだと、声を荒げるでもなく、Boobaはラップを続ける。
むろんここでBoobaが誰のことを歌っているか、どんなに鈍くてもわかろうというものだ。
キリアン・エムバペその人である。
お前はPSGという家族を裏切って、トルティーヤが食べたいばかりに、レアル・マドリードに行ってしまった、おまけに給料の未払い問題でPSGとの間には係争の種まで残して。
なんてこったい、おまえの選択は間違いだ、ほんと、間違いだぜ……とまでは言っていないが、チクチクとエムバペの移籍をディスっている。
むろんフランスのメディアでは大問題に。
『ソウ・フット』や『レキップ』といったスポーツ紙だけではなく、『パリジャン』や『フィガロ』といった一般紙でも大きく取り上げている。
面白いのは、ラップ専門のサイトの反応。
ラッパーやラップばかり聴いている人々は、「ファミリーを裏切る」っていったいどういう意味だ?
と疑問を呈している。
ラップばかり聴いている人々は、ここでディスられているのがエムバペだとわからないみたい。
まあ、ディスったりディスられたりするのがラップの基本的な構造ならば、愉しく聴いていればいいのだが、それにしても、Boobaが作ってきたこの曲をPSGの公式サイトにアップするあたり、PSGもよくやるよなぁと思った次第。
当のエムバペはこのラップをどう聴いたのだろう。
誰か、キリアンに質問してきてくれ。もちろんエムバペ本人がラップで返してくれれば最高!
(文:陣野俊史)
陣野俊史(じんの・としふみ)
1961年生まれ、長崎県長崎市出身。フランス文化研究者、作家、文芸批評家。サッカーに関する著書に、『フットボール・エクスプロージョン!』(白水社)、『フットボール都市論』(青土社)、『サッカーと人種差別』(文春新書)、『ジダン研究』(カンゼン)、共訳書に『ジダン』(白水社)、『フーリガンの社会学』(文庫クセジュ)がある。その他のジャンルの著書に、『じゃがたら』『ヒップホップ・ジャパン』『渋さ知らズ』『フランス暴動』『ザ・ブルーハーツ』『テロルの伝説 桐山襲烈伝』『泥海』(以上、河出書房新社)、『戦争へ、文学へ』(集英社)、『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』(アプレミディ)など。
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【了】