
9年ぶり9度目のJ1リーグ制覇を成し遂げた鹿島アントラーズ【写真:Getty Images】
9年ぶり9度目のJ1リーグ制覇を成し遂げた鹿島アントラーズ。近年はタイトルと無縁のシーズンを過ごすことが多かった常勝軍団は、どのようにして強さを取り戻したのか。Jリーグ開幕当時から続く歩みを振り返りながら、かつての黄金期と現在のチームにある共通点、今に繋がる変化などを、長年鹿島を取材し続ける元川悦子氏の言葉から探っていく。今回は第1回(全6回)。(取材・文:元川悦子)[1/2ページ]
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レジェンドによって受け継がれた鹿島のDNA

MVPに輝いた鹿島アントラーズの早川友基【写真:Getty Images】
2025年、J1で9年ぶりのタイトルを獲得した鹿島アントラーズ。12月11日のJリーグアウォーズで守護神・早川友基がMVPに選ばれ、植田直通とレオ・セアラがベストイレブン入りを果たすなど、個人的にも飛躍を遂げた選手が数多くいた。
こうした面々の力を引き上げたのが、川崎フロンターレ時代に国内7冠を獲得した鬼木達監督、柳沢敦・中後雅喜両コーチ、曽ヶ端準GKコーチ、中田浩二フットボールダイレクター(FD)ら、現場に携わった鹿島レジェンドたちである。
「自分は選手の時、あまりチームに貢献できなかったので、指導者として恩返しがしたかった」と鬼木監督は神妙な面持ちで話したが、彼らが常勝軍団・鹿島のDNAを引き継ぎ、今の選手たちに植え付けたのは紛れもない事実だろう。
「鹿島は絶対にタイトルを取らなければいけないチーム」と植田や鈴木優磨ら年長者たちも口を揃えていたが、そういう意地とプライドを今季、より一層根付かせたことは、特筆すべき点と言っていい。
そこで今、改めて鹿島のこれまでの歩みを振り返ってみることにする。
J発足直後からタイトルを総なめにしたスター軍団

鹿島アントラーズのレジェンド、ジーコ【写真:Getty Images】
住友金属(現日本製鉄)を前身とし、カシマサッカースタジアム(現メルカリスタジアム)の建設という“ウルトラC”によって、オリジナル10の一角に滑り込んだ彼らは、リーグ開幕当初から勝負強さを見せつけた。
93年第1ステージの優勝という結果がそれを物語っている。
同年の鹿島はジーコ、アルシンドらブラジル人助っ人に加え、ベテランDFの大野俊三、中堅の黒崎比差支(ミャンマー代表監督)、奥野僚右(JFA・Proライセンスチューター)、若手の秋田豊、本田泰人らが活躍。
同年のチャンピオンシップで三浦知良擁するヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に敗れたものの、瞬く間に強豪クラブの仲間入りを果たすことに成功したのだ。
この93年に市立船橋高校から加入したのが鬼木監督だった。
リーグ戦出場は95~97年の20試合にとどまったが、鈴木満フットボールアドバイザーが「鬼木はナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)制覇に貢献している」と言うように、カップ戦などで力を発揮していた。
当時の中盤にはレオナルドやビスマルクといったスター選手がいたため、鬼木監督が控えに回るのもある意味、やむを得ないことだった。
それだけの優れた戦力がいたからこそ、鹿島はJ発足5年間でJリーグ1回(96年)、ナビスコカップ(ナビスコ杯)1回(97年)、天皇杯1回(97年)と国内3大タイトルを獲得。名実ともにトップクラブに躍り出ることができたのだ。
「2位も最下位も一緒」「最終的に首位にいないと何の意味もない」

2007シーズンのタイトル獲得に貢献した鹿島アントラーズ、柳沢敦【写真:Getty Images】
「僕らの頃の鹿島は『2位も最下位も一緒』『最終的に首位にいないと何の意味もない』というのが当たり前の考え方だった」と秋田も強調したことがあったが、本当に優勝以外は許されないというピリピリ感が漂っていた。
96年入団の若手だった柳沢コーチは、その空気と責任感を自身に刷り込んだに違いない。
この“第1期黄金期”のクラブ哲学を引き継ぎ、大きく発展させたのが、98年入団の小笠原満男(現アカデミー・テクニカル・アドバイザー)、本山雅志(アカデミー・スカウト)、中田、曽ヶ端ら79年組だろう。
99年ワールドユース(現U-20W杯=ナイジェリア)で準優勝した彼らのタレント力は頭抜けており、早くから試合に出始め、98~02年にかけての“第2期黄金期”を担ったのだ。
とりわけ鹿島が突出した力を誇ったのが、J1・ナビスコ杯・天皇杯の3冠を達成した2000年。79年組や柳沢、平瀬智行(現仙台強化部担当部長スカウト)ら20代半ばのタレントと30歳前後の本田、秋田、名良橋晃、相馬直樹といったベテランが確実に融合。圧倒的な勝負強さを見せつけたのだ。
そして、柳沢や曽ヶ端、小笠原らが年長者となって、2007~12年の”第3期黄金期”への基盤を作った。
特に2007年は、出番が減った柳沢がベテランとしてチーム全体をリード。夏にイタリアから戻ってきた小笠原が活力を与え、スター軍団だった浦和レッズをかわして逆転でJ1制覇を達成した。
中後も途中出場でギアを上げる存在として優勝に関与したのだ。