サンフレッチェ広島時代の青山敏弘(右)と森保一監督(左)【写真:Getty Images】
FIFAワールドカップ2026(北中米W杯)で、日本代表はオランダ代表と2-2で引き分け、貴重な勝ち点1を獲得した。日本代表を率いる森保一監督と、サンフレッチェ広島で約6年間をともに戦ったのが青山敏弘だ。広島の3度のリーグ優勝を支えた元主将は、恩師をどのような人物として見ているのか。森保イズムを誰よりも理解し、現在は広島でコーチを務める青山に話を訊いた。(取材・文:竹中愛美)[1/2ページ]
【単独インタビュー/取材日:6月12日】
20年以上経った今も忘れられない言葉

青山敏弘は2004年のプロデビュー以来、21年にわたりサンフレッチェ広島一筋でプレーした【写真:Getty Images】
青山敏弘が森保一監督と初めて出会ったのは、プロ入りした2004年のことだった。
当時の青山はルーキーとして選手寮で生活していた。現役を引退したばかりの森保はOB講師として若手選手たちの前に立ち、自身の経験を語ったという。
もちろん、日本代表やサンフレッチェ広島で活躍した選手であることは知っていた。しかし、直接接したのはその日が初めてだった。
「すごく真面目なイメージというか。ちゃんと僕らに対しても丁寧にお話しされていました」
そのときの講義で聞いたある言葉は、20年以上が経った今でも鮮明に記憶に残っているという。
「『残り5分からが自分の勝負の時間だと思って、いつもプレーしていた』という話をされていて。僕も同じボランチだったので、今から勝負の時間、自分の時間だと思ってプレーしていました」
22年以上前の出来事にもかかわらず、青山はその言葉をよどみなく口にした。森保監督の言葉が、いかに深く胸に刻まれているかがうかがえる。
青山自身も不思議に感じている。
「森保さんの言葉はスッと入ってくるんですよね。なんでだろう。伝えたいという思いがあるからでしょうね」
後に監督と選手という関係になってからも、その印象は変わらなかった。
温厚な指揮官が見せる“勝負師の顔”

サンフレッチェ広島時代の森保一監督【写真:Getty Images】
森保監督が広島で指導者として本格的に関わり始めたのはコーチ時代だった。
青山が忘れられないのは、クラブハウスで見た、ある光景である。
オフ期間中にもかかわらず、青山が自主トレーニングのためにクラブハウスへ足を運ぶと、そこには毎日のように森保監督の姿があった。
「何をされているんですか?と聞いたら、『来年対戦する相手チームの試合を全部見ている』と言われて」
青山は思わず驚いた。
「この人、どれだけ仕事するんだろうって」
温厚で誠実な人柄がよく知られている森保監督だが、その裏側には誰にも見えない努力があった。
2012年に広島の監督へ就任すると、その姿勢はチーム全体へ浸透していく。
青山が特に印象深いと振り返るのは、普段穏やかな森保が見せる“勝負師の顔”だ。
「スイッチ入ったときの森保さんはすごい。普段は怒らない人なんですけど、年に1回あるかないか、ここというときに締めてくれるというか」
ただ、厳しい言葉を浴びせるわけではない。
チームが進むべき方向を見失いそうになったとき、必要なタイミングで必要なメッセージを届ける。その絶妙な見極めがあったという。
だからこそ、選手たちはついていったのだろう。
「一緒に戦っている感覚を常に感じさせてくれていますよね」
それが森保一という指導者の大きな魅力だった。
なぜ強い信頼関係を築けたのか

サンフレッチェ広島で青山敏弘は森保一監督と強固な信頼関係を築いた【写真:Getty Images】
2012年、広島はクラブ史上初のJ1優勝を成し遂げた。翌2013年には連覇。さらに2015年には3度目のリーグ制覇を達成する。
青山はその中心選手として戦い続けた。
なぜ二人は強い信頼関係を築くことができたのか。青山はその理由を「目線」に求める。
「(森保)監督はすごくリアリストというか。プロとしてまず勝たなきゃいけないという前提なんですけど、その目線をすごく合わせられる。本当に今(チームに)必要なものを示してくれる」
当時の広島はまだ優勝経験のないクラブだった。
いきなり大きな夢を語るのではなく、まずは残留、そして一歩ずつ上を目指していく。その現実的な積み重ねがあった。
「選手と同じ目線なので、地に足がついていて、一緒に目線を合わせてくれていると感じる」
青山自身もチームのために戦うことを何より大切にしていた。森保監督もまた、個人ではなくチームを優先できる選手を求めていた。
「勝つことが何より信頼につながるし、プロとして何が大事かというラインをしっかり引いてくれる。選手もそのラインで戦っていく。それに結果が伴えば、より強くなっていくのは感じていましたね」
そこに違和感は一切なかったという。
自然体のまま、同じ方向を向くことができた。それが黄金期を支えた信頼関係の正体といえるかもしれない。