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独占インタビュー 西野朗『超攻撃の美学、勝負師の哲学』(前編)【サッカー批評issue 56】

text by 永田淳 photo by Kenzaburo Matsuoka

チームを強くするために必要な「何か」とは?

──もう少し昨季までの良い部分を残しながらチームづくりをすべきだったのではないかと思います。

「僕は自分自身が悪くて退任することになったとは思っていない。フロントは『つくってきたものに加えて、プラスアルファを求めるために』という考えだった。クラブとしての土台、財産みたいなものは良い意味であると思うし、そこに新しい力を乗せようとした。クラブと新しい指導者のコミュニケーションを取った上でのチームづくりがあれば良かったと思う。でも外国籍の監督で、思いっきり自分の色でやりたいということがあったんじゃないかな」

──新指揮官となった松波正信監督について、昨季の時点では「まだ自分から発信していきたいというわけではないのではないか」という話をされていましたが、新監督をどう見ていますか?

「この状況で『マサにしたい』とは誰も思っていなかったと思う。『マサにせざるを得なかった』ということ。また新しい監督を連れてくる猶予もない中での決断でしょう。でもそれならロペ(呂比須ワグナー)のライセンスが認められないとなった時に、最初からマサでも良かった。マサは俺とやっているときはおとなしかったかな。トップは俺とブローロ(西野監督時代のフィジカルコーチ)で動かしていて、マサはバックアッパー・若手を見ていることが多く、ベンチに入っているわけでもなかった。でも自分がリーダーという立場になれば、当然違ってくる。選手のことを把握しているのは大きいし、とりあえず何をやっておけば軌道に乗るかという感覚的なものは持っていると思う。自分の色が出てくるのはこれからだよね。オリジナルな部分を出していけばいいと思う」

──過去を振り返って、チームを強くするために必要なのはどんなことだと考えますか?

「優勝してからかもしれないけど、監督である自分自身が選手に対していろんなことを発信していかなければいけないと感じるようになった。継続していく力だけではダメで、変化させていくことが必要。なんとなく自分の中では、引き出しがなくなっていったというのもあるけど、10年間一緒にやっていた主力選手たちへのアプローチがもっと強くなければいけなかったという思いがある。積み上げて成果が出ていると思っている自分に満足してしまうというか、『間違いない』と思ってしまうことがあった。続けてきた力とか、それをブレずにこだわりを持ってやっていけば間違いなく成果が出るだろう、と。

 ガンバの監督になって4年目の05年に優勝して、翌年も厳しい状況ながらも最後まで優勝を争った。ブレないで同じようにコーチングをして、チームづくりをするというメソッドが自分の中でOKだと思っていた。06~08年あたりまではそういう自信があった。ただ今思えば、そこからさらにチームを進化させていくには、『何か』を注入していなきゃいけなかったのかなと思う」

──「何か」とは?

「それがまだ指導者として甘いところだと思う。ガンバ7年目にアジアを獲って、09年も同じようにやるんだけど、何か勝てないなとなった。ガンバでの最後の3シーズン、リーグでは3位、2位、3位という結果で、トップ3に3年間入ってはいたけど、それじゃいけなかった。『何か』が必要だった。そこで感じるのは、選手への要求をもっと強いものにしていかなきゃいけなかったということ。『言わなくてもわかるだろうな』と思うことでもあえて言うとか、言い方を変えて伝えるとか。『変える怖さ』っていうのもあるんだけど、『そういうことをしなきゃいけない』と(選手に)思わせる強さを出していく必要がある。それはなかなか持てないものではあるんだけど」

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