ガンバ大阪のチームメートが体感する、背番号7の進化(前編)

『明神智和、加地亮、中澤聡太、武井択也の証言』
遠藤とともにガンバ大阪で中盤を形成する明神智和と武井択也、99年ワールドユースでも一緒にプレーした同期の加地亮、そして現在CBとして遠藤の背中を見続ける中澤聡太らが、進化を続ける遠藤保仁を分析する。

2012年12月22日(Sat)11時34分配信

text by 下薗昌記 photo Kenzaburo Matsuoka
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遠藤保仁【写真:松岡健三郎】

【中編】 | 【後編】 | 【フットボールサミット第6回】掲載

 ガンバ大阪でも日本代表でも背番号7を背負う稀代のプレーメーカー遠藤保仁。近年、単なるボランチとしての枠を超え、名実ともにピッチ上の支配者として成長してきた足跡は、ともに所属クラブで濃密な時間を過ごしているチームメートが一番よく知っている。

 今でこそ、ガンバ大阪のみならず日本代表の顔として絶大な影響力を誇る遠藤だが、悲願のJリーグ初優勝を果たした2005年当時は、アラウージョら豪華な攻撃陣と、宮本恒靖というスポークスマンの陰に隠れ、どちらかと言えば、チーム内では黒子的な存在だった。

 その飄々としたプレースタイルもさることながら、決して前面に出ようとすることのない「裏番」的なプレースタイル。2006年にガンバ大阪に移籍し、6年間にわたってその多くをダブルボランチとして遠藤のサポートに当たってきた明神智和は十代当時の遠藤とピッチで対峙した経験を今でもよく覚えているという。

「最初にヤット(遠藤)のことで印象に残っているのはサテライトで対戦した当時のことですね。向こうがフリューゲルスで、僕がレイソル。まあ、淡々としたプレーぶりで、そこは全く今と変わらない(笑)。ただ、上手い選手だなとは思いましたし、実際にパスは本当に上手くて、とにかく中距離やロングのパスはきれいな弾道だったのでよく覚えています。それにもっとミドルシュートを狙っていたし、実際によく決めていました」

加地「長いキックも短いボールも、蹴る時のモーションがほとんど変わらない」

 現在のようなショートパスメインの緻密なプレースタイルのボランチというよりは、ダイナミックな展開と広いシュートレンジを武器とするMFだという明神の感想に同調するのは同じ79年生まれの加地亮だ。

 ともにいわゆる「黄金世代」の一員としてワールドユースのナイジェリア大会ではFIFA主催の国際大会で、日本サッカー史上初の決勝進出に貢献。ともにアフリカの大地で濃密な空間を共有した加地も高校時代の遠藤には苦杯を舐めている。

「高校時代は試合をしても特に接点はなかった。初めて話をしたのはユース代表でメンバー入りしてからですけど、ヤットのいた鹿児島実業にはインターハイで対戦して負けたんです。ヤットのこともよく覚えてますよ。別にアイツに点を決められたわけでもないけど、やっぱりチームの中心だったし、軽くいなされたのを覚えてます(笑)。凄いパッサーだった。

 ポジションとか細かいプレーぶりはあまり覚えてないけど、特に印象に残っているのが視野の広さですね。今と同じで、周りの状況はよく見えていたし、キックは本当に正確でした。ボランチだけじゃなく、最近では前目もこなしてるけど、ああいうプレースタイルは視野が広くないと無理だし、天性のものでしょ」

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