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日本代表 11年前

本田圭佑の強固な土台を築いた、星稜高校での3年間

ガンバ大阪ジュニアユースから星稜高校サッカー部へと進んだ本田圭佑。入部前からある種“異質”な雰囲気を出していた彼を、監督の河崎護氏、チームメートらはどう受け入れ、支えていったのか。当時の関係者の証言を基に本田の青春時代を振り返る。

text by 安藤隆人 photo by Kenzaburo Matsuoka

【フットボールサミット第8回】掲載

いきなり起用された練習試合で存在感を放つ

 ピッチ上で黙々とアップする選手たちの中で、異質な雰囲気を感じた。本田圭佑、星稜高校1年生の春。かねてから星稜のパスワークと運動量を生かしたサッカーに興味を持ち、彼が入学する何年も前から、星稜の試合に足を運んでいたがこれまでの星稜の選手とは違うことに、すぐに気付いた。

 当時の星稜はかなりの実力派集団だった。本田が入団する2年前には、レギュラーの多くが1年生というチーム編成で、選手権ベスト16に入るという快挙を成し遂げ、翌年もレギュラー11人中10人が2年生という状況で同じく選手権ベスト16。この年は彼らが3年生となることから、『集大成の1年』と目されていた。

 筆者もこの年の全国大会優勝候補の一角という認識で取材をしていた。FW田中俊也(サンフレッチェ広島→愛媛FC→ツエーゲン金沢)、MF麦田和志(大阪体育大学→徳島ヴォルティス→引退)ら、多くの3年生のタレントの中に、2年生FW豊田陽平(現・サガン鳥栖)など後のJリーガーを数多く揃えていた。その中でも、入学したばかりの本田圭佑は大きな存在感を放っていた。

「9月の頭にガンバ大阪の担当者から『1人うちの選手を見てくれないか』という電話があって、10月の頭に彼が来たんです。県外からまったく知らない選手が来ることが初めてだったので、どんな風に受け入れていいか分からなかったんです」

 突然、本田圭佑という男を受け入れた星稜高校サッカー部監督の河崎護は、彼をいきなりピッチに送り出す。名門・四日市中央工との練習試合、左サイドハーフとして起用されると、本田は自慢の左足で、何度も局面を変えるプレーを見せた。

「軸が全くぶれずにワンステップで展開が出来る。こいつはどういう左足をしているんだと思いましたね。中3でありながら、キックの正確さとか、瞬間的に凄いなと思った。この技術の高さは本当に衝撃でした」

 新チームのウィークポイントが左サイドだったこともあり、河崎は迷わずこの才能を受け入れる。そして、彼の性格に対しても、河崎は少なからず衝撃を受けた。本田を入部させることを決めたとき、彼は河崎にこう言い放ったという。

「ここではパスを繋ぐサッカーをできますか? 俺をレギュラーで使ってくれますか?」

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