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酒井高徳インタビュー ~ドイツで花開いた才能~(後編)

text by 了戒美子 photo by Ryota Harada

サッカー選手は伝える立場でもある

――子供の頃、お母さんの教育が良かったのでは、と想像しますが。

酒井 母親にその手のことを言われたことはないですね。それよりも、思ったことをズバッと言わないといけない環境だったことが大きいかもしれません。男4人兄弟の2番目なんで、上のことも下のことも見なきゃいけなかったんです。例えば長男と三男がけんかしたらオレが止めなきゃいけなかったし。あとは早めに結婚したり、A代表に入ったり、早くに色々なこと経験したことが理由だと思います。

――早めの結婚も影響があると思います?

酒井 オレはそう思いますね。まず自分は20歳になった時点でしっかりした大人にならなきゃなっていうのがあったんです。それに結婚したことによって夫として、親として、しっかりした人間になりたいなってより強く思うようになりました。結婚したらしたで、向こうの家族が増えたり、人とのかかわりがすごく多くなるので。

――若者らしからぬ、しっかり感ですね。

酒井 やっぱりしっかりした人って見られたいし、「ちゃんとしゃべれるね」とか言われるのは嬉しいです。それにオレらは話を聞かれる立場でもあるし、伝える立場でもある。それを取材の時のインタビュアーとの1対1で終わらせては意味がないですよね。「こういう風に思ってる選手なんだ」ってその先の読者とか視聴者にわかってもらわないとって思います。

 例えば、「球蹴れないんだったらサッカーするな」とか言う人がいたとする。でも、「サッカーはそれだけじゃない」っていうのを、オレたちは伝えなきゃいけない。「上手い選手じゃなきゃサッカーやるな」とか言われても、「上手いだけがサッカーじゃないよ」と。「走る選手がいなくなったときに、上手い選手はどうなる?」っていう話とかね。

 それと試合後のミックスゾーンなんかは、質問されてそのシーンを思い出せるかどうかが大事になってくると思うんです。口に出すと忘れないし、次につなげることも出来る。試合中は色んなことを考えていますが、試合後に思い出しながら話すとより頭に残るので、話すことは大事にしていますね。

【了】

初出:フットボールサミット第9回

プロフィール

酒井高徳(さかい・ごうとく)
1991年新潟県生まれ。父は日本人、母はドイツ人。2006年にアルビレックス新潟ユースに加入し、2008年にトップ昇格。左右どちらもこなすサイドバックとして活躍し、昨年、シュツットガルトへ期限付き移籍。途中加入ながらレギュラーを確保する。また、五輪代表にも選ばれ、ロンドンでのベスト4に貢献。今年9月のUEA戦ではA代表デビューも果たす。

関連リンク:酒井高徳のジュニア時代の話はコチラから

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