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日本代表 11年前

「日本人らしいサッカー」とは何か?(その2・オシム監督とアジアカップ)

text by 西部謙司 photo by Kenzaburo Matsuoka

06年と07年の大きな違いは主に2点

 日本代表でも、当初はジェフ千葉と同じ路線でチーム作りを進めているように見えたが、07年に年が変わるとオシム監督はやり方を変えている。2月にキャンプがスタートするのだが、このときからアジアカップに向けての準備を本格的にスタートさせ、違うコンセプトでチームを作り始めた。

 06年と07年の大きな違いは主に2点。まず、マンツーマンの守備をゾーンに変更している。アジアカップに至るまでの親善試合ではゾーンに移行していないが、トレーニングでは2月の時点からすでに準備をしていた。もう1つは、ポゼッションを重視したこと。それまでの反転速攻型ではなく、いったんボールを落ち着けてビルドアップしていく形に変えている。これも2月の時点から徐々に準備を進めていった様子がうかがえた。

「日本人らしいサッカー」とは何か?
【写真:松岡健三郎】

 07年アジアカップは酷暑のベトナムで始まった。オシム監督が半年をかけて準備してきたチームがようやくヴェールを脱いだ。

「エクストラキッカーは1人か2人だ」

 たびたびこう話していたオシム監督だったので、中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛の3人のうち1人は先発メンバーから外れると思われていたのだが、フタを開けてみれば3人とも先発起用されていた。その後も、3人のプレーメーカーは起用され続けている。鈴木啓太がいわゆる「水を運ぶ人」として、3人の背後で守備のバランスをとっていた。

 ハノイで明らかになったアジアカップ版・日本代表は、4バックのゾーンディフェンスを採用。中盤は守備的な鈴木啓太、そして右に中村俊輔、左またはトップ下に遠藤保仁、中央の深めの位置に中村憲剛で構成し、前線は高原直泰と巻誠一郎の2トップか、山岸智を左ウイングに置いた高原の1トップ。フォーメーションでいえば4-4-2か4-2-3-1のどちらか。巻か山岸かというチョイスの違いがあるだけだった。

 ピッチの中央では中村憲剛が、バルセロナ風の「4番」としてプレー。さらに左右に中村俊輔と遠藤というボールの預けどころを置いたおかげで、日本のボールポゼッションは一気に高まった。大会全般を通じて日本がポゼッションで下回ることはなく、サウジアラビアやオーストラリアといったアジアの強豪に対しても、時間帯によっては70パーセントの支配率を記録している。アジアカップでここまで圧倒的にボールを支配できたのは、画期的だったといえるかもしれない。

 ボールは支配した。あとはどんなアイデアで攻め、点をとるかだ。オシム監督が用意したのは両サイドバックのオーバーラップだった。

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