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日本代表 11年前

「日本人らしいサッカー」とは何か?(その2・オシム監督とアジアカップ)

オシム、岡田武史が目指した日本人らしいサッカーの先に何が見えたのか? そもそも日本人らしいサッカーとは何なのか? 今改めて問いたい。我々はどんなサッカーを求め、何を目指すのか、と。

text by 西部謙司 photo by Kenzaburo Matsuoka

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「日本人らしさ」の追求〔1〕オシム監督とアジアカップ

 06年、イビチャ・オシムが日本代表監督に就任した。オシム監督は「日本サッカーの日本化」をキーワードに代表チームの編成を始めている。「日本化」と言っているぐらいだから、オシム監督は「日本人らしい」サッカーをするチームを作ろうとしていたに違いない。

 当初、オシム監督は「走る」を前面に打ち出していた。これは代表を率いる前のジェフ千葉でも同じだった。しかし、日本代表におけるオシム監督のチーム作りは06年と07年では変化している。

 06年の時点では、まだヨーロッパでプレーする選手を招集していない。国内の選手たちでチーム編成を行い、志向するプレースタイルはジェフ千葉時代とよく似ていた。つまり、守備はマンマークで対応し、攻撃時にはマークを振り切って前進してチャンスを作る。運動量で相手を上回ろうとするサッカーだった。

 ちなみに、ジェフ千葉のときのスタイルではリベロのイリヤン・ストヤノフと阿部勇樹がキープレーヤーだった。ストヤノフは唯一マークを担当しないフリーマンであり、反対に阿部には相手のプレーメーカーをマークする役割が与えられていた。オシム監督らしいのは、阿部に相手チームの攻撃の中心になる選手をマークさせただけでなく、ボールを奪ったときには阿部を攻撃に参加させていたことだ。

 阿部は守備力だけでなく攻撃力もある。阿部が前進すれば、相手のプレーメーカーは阿部をマークしなければならない。攻撃の中心になるような選手はあまり守備が得意ではないし、その選手が深く戻らなければならないとすれば、相手チームは攻撃時に組み立てがやりにくくなる。かといって、阿部をフリーにしてしまうとそれもよろしくない。どちらにしても相手チームにはいいことがないわけだ。

 ストヤノフは味方のカバーリングとともに、もともとフリーなので攻撃の起点になりやすかった。ストヤノフの起用方法については、サンフレッチェ広島(※当時)のペトロビッチ監督がそのまま引き継いでいる。守備から攻撃に変わる際に、後方に2人の起点があるというところが面白いやり方だった。

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