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連載コラム 11年前

元Jリーガー・西村卓朗の新たな挑戦 第2回・VONDS市原監督としての第一歩

2月 Club management

 日中はフロント業務。フロント業務といっても最初にやったのはチームの事務所探し。

 その頃はまだフロント業務に時間がさけるスタッフの人数も何人になるのか定かではなかったので、極力お金がかからないように、また必要最低限の広さでかまわないと思っていたので、VONDS関係者、市原サッカー協会関係者に相談しながら、良さそうなところを聞いて回っていた。

 現場での監督業は今までとは立場は違うが、かなり近い距離で接してきたし、違うチームであれば実務レベルでどんな難しさがあるかなど聞く事はできたし、情報も比較的集めやすい。しかしGM業、経営面の話はなかなか聞ける機会はなかったし、実務レベルの事であればあるほど具体的な数字など伏せておかないといけない内容なども多いため、自分の予備知識は少ない状態だった。

 とにかく経験しながら覚えていくしかない。

 自分が就任する前にチームの待遇面などについて経営責任者と話し合っていた。当たり前のことだが、就任後はすべてではないにしろ、多くの責任を自分が一身に背負うことになる。就任前に交渉したことで、就任後の自分の仕事を厳しくするというなんとも言えない自虐的な状況は現在も続いている。

 自分の仕事での経費が増えれば、それが直接チーム運営のお金に響く。このようにダイレクトに物事の動きが伝わるチームのサイズ感はVONDSならではで、浦和レッズのようなマンモスクラブでは意識しづらい事だった。
予算は決められていたし、そもそも業務は整理され、与えられていた。現場の末端にいたので、何か新しい事を企画し、予算を組み、その予算をとってくるという事は当然未経験だったのですべてが今は手探り。

 わからない以上、とにかくムダを省き、効率、効果を考える毎日である。

 組織についても当初は株式会社でという話もあったが、サッカー関係者、クラブ経営に詳しい方に何人もアポをとりヒアリングしていると、今のカテゴリー、VONDSのサイズ感ならば、一般社団法人から始める事が最善と判断し、法人化の流れは、株式から一般社団に急激に舵をきることになった。

 自分が就任する前は法人化は株式で始める準備をしていたので、一般社団の非営利法人になぜすることにしたかを説明する事が求められた。まだ信用もない自分が既存の組織の予定を変更する事は正直骨の折れる作業だった。誰のアドバイスで、その人の信用度、その決断のメリット、デメリット、これから起こりえる事の予測などを既存の組織の幹部、理事の方々に理解してもらわないといけない。幸い、自分の判断を尊重してもらう事ができたので、法人化は一般社団法人で決定した。

 その後は役員の選出、定款作り、時間をかけてよければ、そこまで苦になる作業ではないが、3月中には設立することが最良だったためここからは時間との戦い。役員選出には一般社団法人の特徴をしっかり説明し、伝える事が必要とされた。自分に直接の決定権はなかったが、決定権のある方々に説明し、誰を役員にするべきかなどは一緒に話し合うこともあった。これは自分の中でも初めての経験で新鮮だった。

 決定権のある方、責任のあるポジションの方々は50代、60代、70代の方々でそのような人生の先輩方とお話、ご一緒する時間はとても勉強になると同時に普段あまり感じる事がない緊張感を頻繁に味わう事となった。
組織を作る中でひとつの事を決めようとすると、多くの事が連なり、多くの方々の予定、意思を調整しなければならない。これは選手時代にはあまり経験のないことだった。

 2月の慣れないフロント業務はこのような形で進んでいくことになった。

【次ページ】2月8日 Off the pich
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