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セリエA 11年前

なぜイタリアで3バックが流行したのか? 超進化型システムのメカニズムに迫る(前編)

近年、セリエAで爆発的に流行した3バック。廃れた戦術はなぜリバイバルされ、イタリアにおいて戦術の潮流となったのか? 最先端のメカニズムを現地記者が徹底解析する。

text by 神尾光臣 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

【後編はこちらから】 | 【欧州サッカー批評7】掲載

戦術リバイバルはなぜ起きたのか?

 昨年のEURO2012、グループリーグ初戦。3バックを駆使して、スペインと互角の勝負を演じたイタリアのサッカーはまだ記憶に新しいところである。効率よくピッチをカバーした布陣でハイプレスを展開すると、攻撃ではアウトサイドを存分に使って、スペインのSB裏のスペースを攻略。そして結果はドロー。文字通り世界最高のクオリティを誇るポゼッションサッカーと互角に張り合った。

 5日前に決定した急激な戦術変更。この理由をプランデッリ監督は、「選手が所属チームで3バックに慣れていたから」と説明した。闇に葬られたシステムとして考えられていたシステムがなぜイタリアで蘇り、モダンサッカーの中でどういう形態を見せているのか。そして今後、どのような発展へと向かうのか。戦術大国イタリアで起った奇妙なシステムのリバイバルは、注目に値するムーブメントだ。

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ナポリの中盤を支えるハムシク【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 3バックはイタリアでも、廃れた戦術として考えられていた。もとは2トップに対し、マーカー2人に加えスイーパーを余らせ、後方の数的優位を保つ『カテナッチョ』の典型がこれ。弱小チームが守備固めのための消極策としてやることはあっても、トップチームで手を出すクラブは少なかった。

 例外は1980年代後半、現日本代表のザッケローニ監督がウディネーゼとミランで3-4-3を仕掛け、またマルチェッロ・リッピがユベントスで、またファビオ・カペッロがローマで、トップ下をフォローするために中盤を厚くした3-4-1-2を利用するなど、一時的なブームが起こる。ただサイドで数的不利が生じ、裏がカバー出来ないという弱点を突かれるようになり、その後はスターダムから消えた。

 しかし中堅や弱小、または下部カテゴリーの若手指導者の中には、3バックシステムの可能性を信じていた指導者が複数いた。その筆頭が、ワルテル・マッツァーリ監督だった。

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