中国サッカーに未来はあるか?(その1)

2013年07月17日(水)12時55分配信

text by 宇都宮徹壱 photo Tetsuichi Utsunomiya
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自国の事情に合わせたプロ化を目指していたが…

 このリーグのプロ化については、実のところ、かなりの拙速感は否めなかったようだ。北京でスポーツマーケティング会社の代表を務める朱暁東(しゅぎょうとう)は語る。

「94年のプロ化は、やはりJリーグの影響が強かったですね。本当はもう少し時間をかけて、中国の事情に合わせる形でプロ化するはずだったのですが、それだけJリーグのインパクトが強すぎて『走りながら考えればいい』という感じになってしまったようです」

 かつてはJリーグに勤務した経験を持つ朱は、新たに始まった中国プロリーグに決定的に欠けていた要素として、川淵三郎のような強烈なリーダーがいなかったことを挙げている。

「実は90年代前半に、王俊生(おうしゅんせん)という副会長が協会にいて、この人はものすごくリーダーシップをとっていたんですが、それだけに他の副会長からは反発もあった。結局、当時のボブ・ホートン監督(A代表とU‐23代表監督を兼任)がシドニー五輪出場を逃した責任をとる形で00年にその地位を追われると、その後はサッカー界にまったく関係ない人たちが協会のトップを占めるようになりました」

 こうした状況が、のちに顕在化する八百長事件の温床となっていくのである。

 中国当局が、本格的に事件の摘発に乗り出したのは09年からだが、八百長そのものはプロ化して間もない90年代後半からすでにあったという。逮捕者は、協会副会長、審判委員会主任、レフェリー、選手、そしてクラブオーナーにまで及んだ。協会の権威は地に落ち、国民は自国のサッカーに背を向けるようになっていく。

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