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アジア 11年前

中国サッカーに未来はあるか?(その1)

text by 宇都宮徹壱 photo by Tetsuichi Utsunomiya

性急なプロ化と八百長事件

 本題に入る前に、中国サッカーの歴史を駆け足で振り返ってみることにしたい。ここで問題となるのが「中国足球(サッカー)」の起点をいつ、どこに求めるか、である。アジア最古のリーグ(1908年)を誇る20世紀初頭の香港か? はたまたFIFAのゼップ・ブラッター会長も「フットボールのルーツ」と認めたという蹴鞠が行われた、春秋時代の斉の国(今の山東省)か? キリがないので本稿では、建国した1949年以降の中華人民共和国に限定することにしたい。

中国サッカーに未来はあるか?
写真左は故・周恩来首相。1949年の中国建国から79年まで首相を務めた【写真:宇都宮徹壱】

 現在の中国で、初めてサッカーの公式大会が行われたのは、51年12月初旬のことである。参加したのは、人民解放軍、鉄道(東欧風に言えば、CSKAやロコモティフといったところか)に加え、華南、東北、中南といった地域の代表チーム、合計8チームによるセントラル方式のリーグ戦が、休み2日の総当たり戦で行われた。

 その後、60年代に入ると、春から秋にかけて、各地に会場を移しながらリーグ戦を行うという、独自のシステムを確立。広大な中国で、しかも交通インフラが未発達だった当時、ホーム&アウェイでリーグ戦を行うことなど、およそ考えられない話であった。

 しかし66年のリーグ戦は、多くの試合を残したまま中断されてしまう。5月に始まった文化大革命の影響だ。サッカーをはじめ、あらゆるスポーツ大会が開催不可能となり、中国サッカー界は「改革」という名の暴力に沈黙を強いられることとなる。リーグ戦が再開されるのは、日中国交正常化が実現した翌年の73年のことであった。

 その後、息を吹き返した国内リーグだったが、相変わらずシーズンごとにレギュレーションもチーム数もころころ変わり、記録を追う者としてはただただ戸惑うばかり。ホーム&アウェイによる、真の意味でのリーグ戦が確立するには、まさに94年のプロ化まで待たねばならなかった。

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