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【特集:ボーダーレス化する世界】中東の帰化を巡る、札束と国籍(その2)

中東諸国における帰化とはどのようなものか? アフリカやヨーロッパとも密接に関わる事情について、諸外国に精通するフリーライター・森本高史氏に話を聞いた。

text by 編集部

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中東への帰化選手ができあがる経緯

――どういった経緯で中東の諸国の選手になるのですか?

「まず力仕事があった時に連れてきていたんです。これはスーダンが貧困なことと、人口が余っていることに起因していますね。カタール人に『建築やれ』って言ったって無理です。カタール人を啓蒙して、無理やり仕事をさせるよりも働きたい人を呼んでくる方が良いですよね。スーダン人が肉体労働者としての人材補給の国になっていたんです。

 当時、カタールの人口は50万人~60万人しかいなくて、一割の5万人くらいしかカタール人はいませんでした。5万人のなかに老人も女性も単純に半分いるとして、サッカーが嫌いな人もいます。カタール人のエリートはアメリカやドイツなどに留学して、官僚もしくは政治家を目指すのでサッカーをやる人が少ないんですよ。

 それに彼らはお金持ちでスポーツマンタイプじゃありません。勉強してエリートになるか、ニートになるかのどちらか。なので、連れて来られたスーダン系の人が選手になったんです。昔から彼らはサッカーをやっていましたからね」

――スーダンの人を連れて来ていたのはいつ頃なのでしょうか。

「70年~80年ぐらいからあったようです。カタールはドーハで日本代表と対戦した時にラモス瑠偉を見て刺激を受けたようです。それで90年代後半頃から主流になって、そのあとにナイジェリアなどから本格的に連れて来ましたね。これは04年にトルシエが代表監督としてカタールに来た時に『俺がナイジェリアで指導していた選手がいる』と言っていたので間違いありません。

 それこそナイジェリアはイエキニやカヌー、オコチャといった才能の宝庫。人口が1億4000万人いますけど、男たちのほとんどがサッカーをしています。ナイジェリア代表に選ばれるのが何十人だとすると何万人単位で“漏れる選手”が出てくるので、その選手を取ってきています。昔から外国の移民に労働力を頼っているから、外国人を取ってくることに何も抵抗がなかったようです」

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