デコが語るビッグイヤー獲得の舞台裏(前編)

1992年以降の14年間、バルセロナは優勝候補と目されながら、CLでビッグイヤーを獲得できずにいた。05-06シーズンに決勝まで駒を進め、巡ってきたビッグイヤー獲得のチャンス。“バルサの心臓”と呼ばれたデコの証言とともに大一番を振り返る。

2013年08月27日(Tue)17時53分配信

text by 沢田啓明 photo Kazhito Yamada / Kaz Photography
Tags:

【後編はこちらから】 | 【欧州サッカー批評5】掲載

肝を冷やしたアンリのシュート

──2004年にポルトの主力としてUEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)で優勝し、欧州ビッグクラブからオファーが殺到しました。その中からバルセロナを選ぶと、たちまちチーム戦術にフィットして絶対的レギュラーとなりました。どうしてそれが可能だったのでしょうか?

「バルセロナの攻撃的なプレースタイルには、以前からある種の憧れを抱いていた。もし自分があのチームに入ったらどんなプレーをすべきか、どんなプレーをしたいか、というのは入団する前から頭の中にあった。入団後、ライカールト監督が僕に求める役割を明確に説明してくれたし、チームにはロナウジーニョ、エトー、ジュリら世界最高レベルの選手が揃っていたから、プレーする上で難しいことは何もなかった」

──監督からは、攻守両面で具体的にどのような役割を求められていたのでしょうか?

バルセロナvsアーセナル
UEFAチャンピオンズリーグ・ファイナル2005‐06 バルセロナ vs アーセナルのスコア

「守備では、まず相手の攻撃を遅らせること、極力、縦方向へのパスを出させないことを指示されていた。攻撃面では、簡単に言えばプレーメーカーになること。決定的なチャンスを作り出し、自らも得点にからむことを期待されていた」

──バルセロナは、1992年以来、CL優勝から遠ざかっていました。あなた自身にとっては、2度目のCL制覇のチャンスでした。

「ポルトで優勝したときは、決して本命視されていたわけではなかった。クラブにとって17年ぶりの栄冠で、僕にとっては初のビッグイヤーだったから、手放しで喜んだ。一方、バルセロナは世界有数のメガクラブだ。ポルトよりも周囲からの期待がずっと大きいにもかかわらず、14年間もCLのタイトルから遠ざかっていた。しかも、その間、宿敵レアル・マドリーが(98年、00年、02年と)3度も優勝していたから、地元メディアとサポーターからのプレッシャーはすさまじかった。2006年のチームは実力ナンバーワンと評価されており、それだけに是が非でも優勝しなければならない状況にあった。選手のモチベーションは非常に高かった。厳しい戦いになることは覚悟していたが、僕自身は最高の結果を出せる自信があった」

──CL決勝の相手は、プレミアリーグの強豪アーセナル。ドイツ代表GKイェンス・レーマン、イングランド代表DFソル・キャンベル、コートジボアール代表DFコロ・トゥーレらを中心に鉄壁の守備を築き、919分連続無失点のCL記録を更新中でした。攻撃陣にも、フランス代表FWティエリ・アンリ、スウェーデン代表FWフレドリク・ユングべリ(現清水エスパルス)ら危険な選手がいました。試合前、監督からどのような指示があったのですか?

「守備で最も気をつけなければならないのは、カウンターとセットプレー。アンリが前を向いてボールを持つと非常に危険なので、彼へのパスの出所をしっかり抑えること、それでもアンリにパスが出たときは前後左右から挟み込んでつぶせと言われていた。攻撃面では、ボールを回すときと素早く攻めるときのメリハリをつけること。また、頻繁にポジション・チェンジを行って相手の守備ブロックを揺さぶり、それによって生まれたスペースを周囲の選手が使うよう指示されていた」

1 2 3 4

新着記事

↑top