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連載コラム 10年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。菅原智の挑戦。果てしなき王国の魅力・その3

現在、東京ヴェルディでコーチを務める菅原智。彼はブラジルでのプレー経験がある。所属したのはサントス。王国でプレーするとはどういうことなのか、地球の裏側で生活することとは? 本人にインタビューし、ブラジルの魅力を探った。

マルコス・アスンソンとの別れ

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菅原智【写真:田崎健太】

 99年5月23日、モルンビースタジアムでのコリンチャンス対サントス戦――。

 試合が始まってすぐ、菅原智は自分の身体がいつもと違うことに気がついた。いつも以上に息が上がった。まるで疲労が蓄積したかのように身体が重いのだ。

 サントスの菅原はコリンチャンスのリカルジーニョと向き合うことになった。左利きのリカルジーニョのフェイントは変則的だった。菅原は股を三度も抜かれることになった。サントスは先制したものの、その後は押され続けた。次々と得点を許し、後半途中、レオンは菅原を下げた。試合は1対5の惨敗で終わった。

 サントスはサンパウロ州選手権で決勝トーナメントに進出を決めていた。菅原はもはやAチームに入ることができなかった。準決勝でサントスがパルメイラスに敗れると、監督のエメルソン・レオンが解任された。レオンを頼ってブラジルに来た菅原にとっては大きな痛手だった。

 ブラジルでは同じ選手で一シーズンを闘うことはほとんどない。6月、一つの別れがあった。

「来週、イタリアに行かなければならないんだ」。マルコス・アスンソンが菅原に言った。

 移籍先は名門、ASローマだという。ローマかよ、ブラジルってすげえなと菅原と心の中で叫んでいた。急遽、チームで送別会を開くことになった。練習後、近所の中庭のあるレストランを貸し切り、バーベキューをした。そこで菅原はアスンソンと抱き合って泣いた。長い付き合いではなかったが、菅原にとって友と呼べる存在になっていた。

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